「ダウン症児から学ぶこと」

 

 

  2013年からK君の書き始めた手記、

 「ことともに ダウン症児から学ぶこと」

  そのなかの一編、2016年10月01日をここに紹介しよう。

 

     ☆      ☆      ☆

 

 福人がついに、わたしのことを「パパ」と呼びました。

 この日を待って、7年間。

 福人が生まれてからずっと、この子は一生の間、わたしをパパと呼ぶことはないのだ、と思い定めてきた。ところが、寝るまでのちょっとした時間、風船で遊んでいたところ、風船が割れてしまった。もう一つ欲しくなったらしく、福人は私のところに来て、

「パ パ パパ」

と言って、風船のしまっている場所を指さした。

 わたしはいつか、この子がわたしを「パパ」と呼んでくれたら、そのときはそれこそ人生の中のバラの咲くような日であり、夢のようなことが起きたのだから、涙腺が崩壊するほど泣くのではないかと思っていたのですが、

そんなことはなかった。

「お、パパと言ったかな?」

「今、福人がおれのこと、パパと言ったかも」

と大声で家族に報告しただけ。あとは、やりかけの残業にとりかかり、感傷に日たる間もないというありさま、

 なんということだろう。

 一夜たって、パパと呼んだよな、たしかに、と思いつつ、何の感傷もわかず。

 わたしは神経がすりきれて、ずたずたなのだろうか。あの期待していた感激はどこへ? 涙腺崩壊はどうなった?

 

 要するに、ね、

7年間の間に、そんなこと、どうでもよくなったんだな。

福人が、パパと呼ぼうが呼ぶまいが、どうでもよくなっちゃって、

なんでかな、私としては、自分の涙腺がどうにも揺るがないことのほうが、新鮮で、おもしろい事象に思える。

     ☆     ☆     ☆

 「K君とともに」の手記は、どのページも、しみじみと感じるものがある。福人君は、今は中学生の年齢。先日会ったら、幼児期に我が家で何日か過ごしたことがあり、私を覚えているのか、にっこり笑った。うれしかったね。

 K君は、高橋源一郎さんの講演を聴いたことも書いていた。

 「高橋さんは、弱者を中心にした街をつくりたいという。それは必ず共同体そのものが生きやすくなる。最終的にはそこに生きる全員が、受益者となる。生きにくさや、息苦しさを感じる世の中になってしまっているのは、弱者に光を当てていないからだという。

 高橋さんの下の子は、重度の脳性麻痺、そこから奇跡的に復活したそうだ。その過程で見えてきたこと世界を高橋さんは話してくださった。いちばん感じたのは、重度障害をもつ子どもを育てたり介護したりしている母親が、なんともパワフルで、元気ハツラツなことであるそうである。

 ダウン症児は明るい。人の顔をみたり、目を見つめたりするだけで、彼らは満ち足りていて、生きている幸福をかみしめて笑う。うつ病のおばあさんが、宅老所にやってくる福人となごんでいる。それが好きなんだと。福人に会いたいために宅老所に来るんだと。」