人類は進化しているのか

   

    今朝、ついに初霜おりる。気温二度。

 一昨日は、白馬連峰が初冠雪。

 昼間、庭の木漏れ日のあたるところに、赤とんぼが止まって、ひなたぼこしている。冬が近づいている。

 

    今は亡き小田実を想う。彼はエーゲ海サントリーニ島の沖に散骨され、海に眠る。

   彼の書いていたことを、再びたどる。この世界はますます戦乱、対立、威嚇のばっこだから。

      ☆     ☆     ☆

   「高校生の時、戦争が終わった。私には民主主義とは何か、よく分からなかった。私はデモクラシーの元祖、古代ギリシアを知りたかった。

   古代ギリシアは紀元前6世紀に、民主制を確立していた。デモクラシーのデモスは『小さな人間』すなわち『人民』、クラシ―は権力。官吏はおかず、公開の民会で自由対等に意見をたたかわせる。行政の役割は持ち回りで、18歳以上の男子全員がくじを引いて、決めた。選ばれた代表がまともでなかったら、市民によっていつでも召喚でき、罷免できた。『大きな人間』が戦争を起こそうとしても、『小さな人間』が動かない限り、戦争はできなかった。戦争するかしないかは、民会の話し合いにかけられた。民主主義政体は、文(ロゴス)の政治だった。言葉と理性で人を動かす。公の場で話し合い、説得する。」

 

    小田実はデモクラシーの本質を探っていった。

    小田は、作家でありながら運動家でもあった。たくさんの仲間と連帯し、ベトナム反戦運動に奔走した。アメリカ兵に呼びかけて脱走を促し、脱走してきた米兵をかくまいつづけて、密かにスウェーデンに送り出した。

 

    小田と家族は、阪神淡路大震災を被災した。小田は被災地を歩き続け、被災して死んでいった多くの人とその死を悼む人々を見て、「難死」の思想を立ち上げ行動を起こす。

   「人は殺されてはならない」

    小田と市民の奮闘によって、国は「被災者生活再建支援法」を国会で成立させる。市民による運動が政党の枠を超え、「議員立法」党を生みだした結果だった。

 

    小田はその後、不治の病を患い、エーゲ海サントリーニ島への最期の旅に出る。

   「死んだら、十年後サントリーニに散骨してほしい」

    それが遺言だった。その島はクレタ島に最も近く、エーゲ海文明の中心地だった。

   「ここには、戦士の武器の類の遺物がいっさい出てこない。きっと王様のいない文明だったのだろう」

と小田は言った。

    小田実の妻、玄順恵は遺言通り、十年後サントリーニ島を訪れ、散骨をした。その一連の旅は、「トラブゾンの猫 ――小田実との最後の旅」に記されている。

   「散骨は、朝日が昇っていくすがすがしい時に行われた。

船は小さなクルーズ船で、風のない海をすべっていった。遺骨は、娘が一袋、順恵が一袋、海に撒き、花束を投げた。

十年間持ち続けた。小田実は、エーゲ海に抱かれたのだ。」