こんな文章に出会った。
私が野砲一連隊に入隊していた時、われわれの教官に、一人の中尉がいた。ある日、演習の時、われわれに練兵場の隅に塹壕を掘らせ、その中に大砲を埋めさせて、それからわれわれ兵卒たちに順々に次のようなことを聞いたものである。
「この塹壕は何のために掘るか」
「これは敵弾によって砲を破壊されないためであります」
「うん、次」
「敵弾によって砲を破壊されないためであります」
「次」
「敵弾によって砲を‥‥」
「次‥‥」
どこまでいっても、兵士たちの答えは同じであった。それは無理もない。そう答えるように日ごろから教育係の軍曹や上等兵に教え込まれていたからである。
中尉は、不機嫌な顔をしながら、次々となおも順にたずねてきて、とうとう番が私に回ってきた。私は型にはまった答えを強要される重さを感ずるので、口が重くなるが、とにかく答えなければならないので答えた。
「敵弾によって砲を破壊されないためであります」
やっぱり軍曹や上等兵から教えられていた通りに応えたわけである。
すると中尉はじろりと鋭く私の顔を見て、「なんだ、お前もやっぱりそう答えるか」という苦笑に似た表情をした。中尉は、他の兵隊たちと多少違ったように私のことを考えていたに違いない。私が他の兵たちと同じように答えたものだから、中尉は、「もう、よし」と言って手を振り、苦虫をかみつぶしたような表情をして空を見上げ、肩を張り、まるで怒ってでもいるように大きな声で言った。
「そうじゃない。よいか、大砲は機械にすぎないではないか。大砲も大切だ。しかしお前たちの命はもっと大切なんだぞ。何のために塹壕を掘るかと言えば、第一はお前たちの尊い命をむざむざと犬死にさせないためだ。その次が大砲だ。いいか、わかったか」
そしてちょっと黙っていたが、「演習中休み」と高く叫んだ。
私は恥ずかしくなった。中尉の言葉に恥じるとともに、久しぶりで人間の声を聴いたように、私は心が晴れ晴れとした。
われわれが軍隊に入って、最初に軍曹や上等兵から聞かされたのは、
「おまえらの代わりは一銭五厘のハガキ一枚出せば、いくらでも来る。しかし軍隊の代わりはそういうわけにはいかない。軍馬一頭仕立てるには七年かかるんだぞ」
という言葉であった。毎日聞かされるのは、命を粗末に扱われなければならないことばかりである。そこに思いがけない、中尉は人間の命の尊さについて語ったのだった。
それは大正時代の初期であった。こういう若い将校がいたのである。
今、私はそれを思い出して、こうした中尉がいて、「思った通りのほんとうのことを答えるのがいちばんよいことなんだぞ」と学生たちにむかって言ってくれたら、どんなに希望を胸に抱くことだろうかと思うのである。
大正初期、この日本で自由なことが言えた時代があった。
広津和郎「散文精神について」(本の泉社)