日本が果たすべきこと、役割

 

 

 

 かつて中国武漢大学で日本語を教えた時、緑したたる森のなかの大学図書館によく行った。ビルの五階が日本の膨大な書庫だった。

 そこで見つけた京大の山室信一氏の著に、こんなことが書かれていた。

 「竹内好が、『満州国をでっちあげた日本は満州国の葬式を出していない。口を拭って、知らぬ顔をしている。これは歴史に対する背信行為だ。国家が知らぬ顔をしたら、国民がその尻拭いをしなければならなくなる。国家が意識的に忘却政策をとり、学者がそれに便乗して研究をさぼっているために、満州国に関する知識の結集が妨げられている。』

 満州国を、大東亜共栄圏に置き換えてもよい。自ら犯した侵略は、相手にとっての忘却にはならない。災いを与えた側の忘却は、被害者にとっては屈辱となり、憤りとなる。」

 

 侵略した側の記憶と、侵略された側の記憶は、深さが異なる。ウクライナの国民のなかに刻まれている記憶は、強烈な痛み、悲しみ、恨み、怒りの記憶となって、残り続けるだろう。侵略された側の記憶がいやされるのは、侵略した側の心からの謝罪、懺悔、償いが生まれてきた時だ。

 

 今の日本が外交で何らかの役割を果たせるのは、自らの過ちの歴史、それへの謝罪、懺悔、償いの念をもちつつ、だからこそ平和を希求するという、強い意志表明のできるときだ。