私はこの8年かけて書いてきた長編の小説を、いよいよ「本の泉社」から出版することになった。題は「夕映えのなかに」。
最初タイトルは「魂呼ばふ山河」にしていたが、シューベルト作曲、カールラッペ作詞の、神の恩寵を歌うドイツ歌曲のタイトル「夕映えのなかに」を小説のタイトルにした。
わが人生の、功と罪、喜びと悲しみ、希望と絶望の想いから、絞り出したタイトル。
そのなかに、下記のような部分がある。
今の世界の危機からの脱出を願い、あの頃を思う。
ベトナム戦争のとき。
● 一九六五年、小田実や鶴見俊輔、高畠通敏、開高健などが中心になって、ベトナム反戦の市民運動「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」が生まれ、市民のデモは全国二百を越えた。
「私たちはふつうの市民です。もし、あなたがベトナム戦争に反対するなら、いっしょに歩きましょう。」
「ベ平連」の活動家たちは、米空母の停泊している横須賀の基地に出かけ、米兵にビラを配り、脱走を呼びかけた。
「われわれは、第三次世界大戦の始まりになり得るかもしれない戦争を感じとっています。
米兵のみなさん、
1、上官や大統領に、戦争反対の手紙を書きましょう。
2、兵舎のなかで集会を開き、大衆的なデモに参加しましょう。
3、サボタージュをしましょう。
4、脱走しましょう。
5、良心的兵役拒否をしましょう。」
呼びかけに応えて、横須賀港の空母イントレピッドから四人の兵士が脱走した。一九六七年の秋だった。
「べ平連」の活動家は、彼らを日本の官憲とアメリカの組織から守り、日本の各地にかくまって、秘密裏に海外に逃がす活動に奔走した。
海外への逃げ場所はないか。「ベ平連」の活動家たちは、「反戦アメリカ軍脱走兵援助日本技術委員会」を立ち上げ、脱走兵を受け入れてくれそうな国を当たった。すべては隠密に行なわれた。
スウェーデンのパルメ首相は、ベトナム戦争を強く批判していた。小田実はスウェーデン政府機関に乗り込んで脱走兵の受け入れを要請した。
それが認められた。
活動家たちは隠れ家から脱走兵をスウェーデンへ送り出した。バルメ首相は、「プラハの春」へのソ連の攻撃、南アフリカのアパルトヘイト、スペインのフランコ 政権による独裁政治をも批判し、反核運動にも尽力していた。
米軍脱走兵は二十名に及んだ。