福沢諭吉は述べていた

 

 

 

 徳川幕政から薩長の新政府になった明治二年、福沢諭吉専制政治について書いているのに驚く。濱野成秋の著書で知った。

 

 諭吉は、「モナルキ」、すなわち「立君」という論を書いた。専制君主政治はどんなに国を難渋させるか。原文を現代語に変える。

 「立君とは、一人の君を立てて、国を支配することである。イギリス、フランス、ロシアなど多くの立君の国がある。その政体には二種類ある。一つは『定律立君』という。君主一人が政治を行うのではなく、国の中に議事院(議会)という評定所を開き、選挙によって人物を選び、法律を定め、掟を設け、君主も掟を破ることができないようにした国である。君主がおごりをきわめ、みだりに戦を起こして民にそのつけを負わせるようなことは議事院が許さない。このような国は、君主の威権ははなはだ弱く、国を先にして、君主を後にするやり方である。イギリス、オランダ、イスパニアがそのような国である。

 もう一つのモナルキは、独裁立君であり、君主が一人で勝手次第に政治を行い、国民の生命も君主のものであるという。君主に背けば罪なき者をも殺すことがある。国民の財産も君主のものであると言い、税金も財産も君主のものだと取り立て、罪におとしいれたりする。すべて自分一人の考えで、天下を自分のものにする。ロシア、トルコ、カラ(中国)のような国である。そのような国では、君主が賢明であれば、よく考えて政治を行うこともあるが、増長すると国民の難渋はたいへんなものになる。」

 

 あの明治の初めに、このような論を福沢諭吉は書いていた。だがこの考えは軽視され、うとんじられ、危険視され、その後の日本の過ちとなっていった。