芥川也寸志(作曲家、指揮者)がこんなことを語っていたと、以前に山住正己が書いていた。
「歌をうたうことにより、社会認識をもったり、人間生活を深く知るようになった例は多い。
北海道のある炭鉱で、ストライキをやったときの話ですが、
そのとき歌をうたったおかげで、何日間も元気でいられたという経験から、その後、その炭鉱からは、雨の日も、風の日も、歌の聞えない日はない。
その人たちは、楽譜もよめない人たちだったのに、みんなで歌うようになった。そういう人たちは、歌の本質をこれでつかんだのだと思うのです。
音楽というものは、こういうものだ、ということを、はっきりつかまえたわけです。」
小説「ビルマの竪琴」(竹山道雄)のなかに、こんな文章がある。
「ほんとうに、われわれは、よく歌をうたいました。うれしいときでも、つらいときでも、歌をうたいました。いつ戦闘がはじまるかもしれない、そして死ぬかもわからない、せめて生きているうちに、これだけはりっぱにしあげて、胸いっぱいに歌っておきたい、そんな気がしていたからかもしれません。……」
イギリス軍と遭遇し、今まさに戦闘が起ころうとしていた。竪琴を弾いて伴奏する水島上等兵の「歌う部隊」は、イギリス軍に包囲されていたのだった。部隊は相手を油断させるために歌い始める。
「われわれは、合唱を始めました。『庭の千草』『埴生の宿』でした。今にも森の中から火ぶたが切られるかと気づかいました。
合唱が終わった時でした。ふしぎなことに森の中から一つの歌の声が上がったのです。あかるい、高い声で熱烈な思いを込めて『埴生の宿』を歌っているのです。森の中の歌声は、たちまち二つ、三つと数を増し、あちらからもこちらからも、それに和しました。『埴生の宿』を英語で歌っているのです。森の端の別の一団が『庭の千草』の節を歌っています。森の中は歌声でいっぱいになりました。私たちは異様な感動を受けました。敵も味方もありませんでした。
いつのまにか、一緒になって合唱していました。」
そしてその日、戦争が終わっていたことを知る。
これは小説だが、歌の本質を書いている。故郷をしのぶ思いは敵も味方も関係ない。その共通する思いの響き合いが、殺戮の元になる憎悪や敵愾心を奇跡的に克服したということだろう。歌は、人間の内から湧き出てくる生命の声でもある。
歌の歴史をさかのぼると、仕事の歌があった。田植え歌、漁の歌、土方の歌、船頭の歌など、たくさんの労働歌が生まれた。神や自然をうたう歌も生まれた。子どもを育てる子守唄もあった。子どもたちは遊びながら歌をうたった。凧揚げの歌、おてだまの歌、なわとび歌、ごむとび歌、ほたるがりの歌、まりつき歌、たくさんの歌が子どもたちの遊ぶ原っぱや道にこだましていた。
合唱の原点とは何か。「共に歌うことは楽しい、共に歌うことは喜び、共に歌って元気になる」、みんなで味わう、みんなで創る、そこに原点がある。
歌うこと、合唱すること、それは生きること。命を燃やすこと。
ぼくは地域にある合唱サークルに入っている。最近この原点がぐらついているように感じる。次の合唱の日に、この原点提案をしてみようと思っている。