『うさぎ追ひし かの山』

 一昨日、「扇町コーラス」は地元のデイサービスセンターで毎年恒例の合唱をしてきた。
 センターには30人ほどの高齢者が、椅子を並べて「扇町コーラス」を待ってくれていた。「扇町コーラス」のメンバー15人がその前に立って、最近練習している二曲を歌ってから、デイサービスに来ている人たちと一緒に、童謡やかつての歌謡曲を十数曲一緒に歌った。無表情だった人たちの顔が、歌と共にほぐれていった。一人のたくましい身体の男性がいた。脚が不自由のようだ。その人は初めは不機嫌そうな顔だった。まだまだ現役で活動できるように見え、介護を受けなければならなくなった自分の現状に、失意と不満をため込んでいるのかなと、ぼくは勝手に空想していた。ところが、みんなで歌おう、となって、童謡や懐かしのメロディを歌いだすと、唇が動きだし、彼の心は元気だった過去の思い出に飛んでいったのか、たちまち表情が和んでいった。
 交流会が終わってから、公民館にもどって、ティータイムをもった。
 みんなでお茶を飲みサクランボをつまみながら、団らんした。
「最後に歌った『ふるさと』、あれを合唱曲で歌いたいね。」
「そうですね。四分合唱か、二部合唱かね。」
「これは日本人の愛唱歌だね。」
「それにしても、『うさぎ追ひし かの山』のウサギはもう見られない。なつかしい自然も環境も暮らし方も、すっかり変わってしまったね。」
「イギリスの田舎へ行って、朝散歩すると、ウサギがぱーっと走っているよ。」
「私は依頼されて小学校へ、日本の古い歌、唱歌の説明に行ってるんだけど、歌詞の内容が子どもたちには分からないんだね。歌詞の言葉も難しいけれど、生活の中にそういうのがなくなったから、イメージが湧かない。それで当時の自然や暮らし方を教えているんだよ。」
「敗戦後の日本の発展の方向性と、同じ敗戦国だったドイツの発展の方向性とは、まったく異なるねえ。経済大国としての発展という点では共通するけれど、ドイツは森を保護し復活させ、生物多様性を国の方針にして、オオカミも人間と平和共存しているんだからねえ。」
「日本でもアルプス公園のような大きな自然公園も造られてはいますが、‥‥」
「ドイツの森林公園はその比ではないですねえ。その何十倍、何百倍かの広大な森ですよ。そのなかに人が歩く道がいくつもつくられている。自然の中を歩く文化が国民のなかにあり、国がそれを戦後の重要な施策にしてきたんですから。」
「日本は、戦後の経済発展オンリー、開発オンリーの道をたどったために公害大国になった。」
「日本は公害をある程度克服しては来たけれど、原発ではドイツと正反対ですね。日本は今後も再稼働して依存する。ドイツは原発全廃の方針で徹底しているね。」
 そこから話が変わって、戦後はやった歌の変遷の話になった。リンゴの唄、ロシア民謡フォークソング歌声喫茶ビートルズも出てきた。
「これから歌いたい歌も考えなけりゃ。」
「ところで、自分の一番好きな歌って何?」
「『風に立つライオン』」
とぼくが言うと、大友さんが、
さだまさしの。」
と言った。他の人は知らないようだ。
「ぼくはあの歌を聴くと涙が出てくる。」
「そうだねえ、吉田さんはそういう歌に弱いねえ。」
「うん、弱い弱い。」
 この日、みんなよくしゃべった。よくおしゃべりして、よく歌うと、認知症にならないよ、これが締めくくりの言葉になった。