近所の小さな工場を経営している大将が、ちょくちょく犬を連れて散歩している。前に飼っていた犬はどうしたのか、亡くなったのか、別の小型犬を連れている。聞けば、
「前のが死んだんでね。この子は飼い主がいなくなって殺処分するというのをもらってきただ。」
そういうことだったか。大将、えらい。
散歩で出会うゴールデンレトリバーを連れている親方とは、行きあうとよく話をする。親方は土木建築の会社を経営している。先日、犬の殺処分の話になった。飼い主の都合で、犬を処分しなければならなくなり、殺される犬が日本ではかなりの数になる。
「福島では飼い主のいなくなったたくさんの犬が一時保護されてるだ。死んだ犬もたくさんいる。うちの奥さんが、飼い主が見つからなかったら殺されるという犬を、福島へ行って何頭も引き取ってくるだ。それをあちこち頼んで飼い主になってもらっているだよ。」
親方、えらい。奥さん、えらい。
うちのランは15歳、人間でいえば100歳になるとか。それでも元気に散歩に出かける。一時間は歩いて帰ってくる。ランとは、以心伝心で、会話が成立する。要求することがあれば、立ち上がって、とうちゃん、かあちゃんの前に来て、目を見つめ、足踏みをして、「水を飲みたい」「トイレに行きたい」「二階に上がって寝たい」「牛乳がほしい」「散歩に行きたい」などと、意思表示する。その要求を誤解すると、「そうではない」と表情で伝える。それでもこちらが強硬にランの意志とは違うことを押し付けると、はっきり拒否を表明する。後じさりして、フフンと鼻を鳴らしたり、ついにははっきりワンと吠えて、「そうではないんだよ」と表明する。
ランは夜は二階の廊下で寝ている。一枚の毛布が寝床で、それを鼻で動かして、寝床を自分で作る。夜9時になると、外に出て、おしっこをして、家に入り寝ることになっているが、昨日もこんなことがあった。
「もう寝なさい」
家内に言われて、いったん二階に上がりかけて、また戻ってきて、居間にいる僕にドアの外から合図する。合図は足踏みだ。そこで僕はドアを開けて、
「もうネンネしといで、ネンネだよ」
と声をかけると、とことこ階段を上がって行った。
「とうちゃんに声をかけてほしかったんやなあ。」
人間と犬と一緒に暮らすとよくわかる。犬は裏切らない。