沖縄、嘉手納基地の騒音で、年に10人が死亡している、という試算を、北海道大学の松井教授が発表した。(朝日新聞 3・14)
米軍基地の騒音により、周辺住民約1万7千人が睡眠を妨げられ、10人が心臓疾患で死亡している。
松井教授は、世界保健機関のガイドラインをもとに試算した。夜間の平均騒音が、40デシベルを超え、高度の睡眠妨害が起きており、心筋梗塞などの心疾患で年間51.3人が病気になり10人が死亡している。
いったいこの責任をだれが取るのだ。
一方、沖縄の辺野古の埋め立ては、一日も休まず、沖縄住民の意志を無視して、ますます工事が進められている。
このような深刻な事態が進行していても、本土の人間は、「痛くもかゆくもない」、「私たちには関係ないさ」と、一片のニュースとして聞き流されていく。
サッカーのファンは、応援するチームの試合には、一万人を超える人が集まって声援を送り、大相撲の好きな人は、力士の熱戦に歓声をあげている。そこには人々の熱と意気とが渦巻いている。
けれど、沖縄の現実に、本土では声が上がらない。
ところでだ。
元民主党からの首相だった鳩山氏、いまどうしているんだろう。沖縄の基地問題をなんとかしようと思いながら、成果を上げられず、万策尽きて、あっけなく首相を辞め議員も降りて野に下った鳩山氏。批判は根強くあるにしても、沖縄問題解決への執念が今もあるならば、その執念を貫き通すことができないだろうか。政界から離れ、それだけ自由を獲得したのだから、一人の自由な野の民として、生涯の最後を沖縄の苦悩を取り除くために献身できないものだろうか。
鳩山さん、「沖縄問題」で、つまずきはしたが、だからこそ「沖縄」の今を、政治家ではない、一市民として、市民の中に入り込んで、地を這うような活動をなさいませんか。そこにあの政治の時代には得られなかったものが、生き甲斐が、あるいは役割が見出せるように思うのです。野の人として、新たな生き方を示してほしいです。
余計な御世話かもしれませんが、余計なお世話をしあえる社会が必要だと私は思っています。お返事ください。