ユートピアを夢見る人間/トルストイのコミューンそして辻井喬


 「理想の村 マリナレダ」(ダン・ハンコックス 2014年12月太田出版)は、スペインに生まれた一つのコミューンの歴史を描いている。そこは完全な自由をめざす思想を基軸にしたマリナレダという村で、スペインがたどってきた歴史の数々の荒波、戦争・内戦・経済危機・社会矛盾、それらにさいなまれてきた民衆の闘いのなかから生まれてきた。
 マリナレダは、1970年代後半、極貧状態でありながら、ユートピアをつくりだす闘いを始める。独裁者フランコ将軍の死後、スペインは混迷におちいり、マリナレダは60パーセントを超える失業率に苦しんだ。農村でありながら、耕せる土地はなく、住民は食べるものがない状態が続いた。それでも農業労働者たちは、並々ならぬ努力と犠牲をはらって成功への旅路を歩む。
 1985年、村長が語る。
「我々は、ユートピアはどうあるべきかを定義し、反動勢力と闘うだけでは不十分だということを学びました。今すぐここにユートピアを築く必要があるのです。長年の夢をかなえるまで、忍耐強く、着実に一つひとつレンガを積み重ねていくしかありません。すべての人々にパンが行き渡り、市民が自由を手にし、文化を享受し、平和という言葉を尊敬の念をもって口にすることができるようになるまで、我々はいかなる未来も現在に根ざしていると心から信じています。」
 2012年、村長が語る。
「私たちは将来手に入れたいと思っているものを今導入しようとしているのです。明日まで待ちたくありません。ユートピアは決して荒唐無稽な話ではありません。人々がもつ最も崇高な夢です。
 私たちが夢見る平和とは、墓場で安らかに眠れるようになるという平和ではなく、平等がもたらす平和です。マハトマ・ガンジーが『平和とは暴力が存在しない状態をいうのではなく、正義が行われている状態を意味する』と言ったように、私たちの夢は、天然資源や労働者が生産した富を、一部の人びとに奪われることなく、労働者が手にできるようにすることです。現在、ごく一部の豊かな人びとが、サハラ以南のアフリカに住む八億人もの人びとに食料を与えられるほどの富を独占していますが、私たちは平等を実現したいと思っています。すべての人が家を持てるようにしたいのです。」
「理想の村 マリナレダ」のプロジェクトは、今も建設途上にある。こういうコミューンが存在している。

 「トルストイの大地 〜辻井喬のロシア・ユートピア巡礼〜」というテレビのドキュメンタリー放送を今年3月に観て、人間というものは理想をどこまでも追い求める存在なのだとしみじみと思った。(2001年NHK制作、2015年BSで再放送)
 ロシアには、トルストイの思想にもとづいて創られたコミューンがいくつかあり、それらはスターリン主義体制の弾圧を乗り越えて今も生き続けている。
 1910年、晩年のトルストイは大きな煩悶をかかえて妻のもとを去り鉄道に乗って旅に出るが、その途中小さな駅の駅舎で82歳の生涯を終えた。寂しい最期だった。それから100年、非戦、非暴力、隣人愛、反国家権力、精神の自由、そのトルストイ主義は多くの国々の人々に影響を与えた。それを継承し、それを生き方に現わしている人々のコミューンもある。ユートピアを願ったコミューンは日本をはじめ世界の各地に生まれた。
 この記録映像を、小説を書いている番正寛さんにみせたいと思った。
 番さんは、16年前、人生と精神の重大な転換のなかにあってこんな詩を書いていた。

       天命

   1976年春
   おまえは書くことを断念して飛んだ
   あのような生活をしたくて
   なろうことならあのような人たちになりたくて
   やれないことはない
   そう信じて飛びつづけてきた

   そして1999年春
   おまえは行動を断念して書いていた
   あのような生活とあのような人々が
   帰結するものについて
   どのようにやっても
   こうしかやれなかったことについて


        私の思想

   <自分の住む所には 自分の手で表札をかけるに限る
   精神の在り場所も、ハタから表札をかけられてはならない。
   石垣りん。それでよい>

   ところが住むところには同居もあれば貸室もあって
   他人の表札が下がっている場合がある
   貧乏でやむを得ずそうしていることもあるが
   身を隠すために好んでそうしている場合もある

   私は
   その主人に相共鳴したばかりでなく
   さらに一体化せんことをねがい
   自分の表札を外した
   その方が大きな目的だったし
   また安楽だったのだ

   それは精神にとって、
   つまり“私の思想”にとって危機なのだといつしか思うようになった
   <大事なのは他人の頭で考えられた大きなことより、
   自分の頭で考えた小さなことだ>(村上春樹

   “私の思想”とは
   どうもその小さなことに関わりがあるようだ
   でもこれまで<他人の頭で考えられた>ことがいっぱい詰まっていて
   それ以外のことはぼんやりしている

   そのなにかが蘇るために
   貧しく不安多くとも あえて別居し
   いまだ何もない小さな部屋の表札に
   番と記す 
 
 ユートピアを夢見、それを探しに旅に出る。ユートピアを夢見、それを創るコミューンの同志となる。しかしユートピアはそこに存在したのかしなかったのか。
 ダン・ハンコックスは「理想の村 マリナレダ」でこう書き出していた。
「太古の昔から、人類はよりよい世界を築くことを夢見てきた。イギリスの思想家トマス・モアの小説『ユートピア』が出版されて500周年を迎える。そもそも『ユートピア』という言葉はギリシャ語で『どこにも存在しない場所』を意味する。ユートピアは現実世界に対する失望が反映されている。さまざまな不正がまかり通る現実と人間の弱さの裏返しとも言えるだろう。常に失望させられているからこそ、私たちはよりよい世界を夢見る。」

 「トルストイの大地 〜ロシア・ユートピア巡礼〜」の旅人は小説家・詩人の辻井喬だった。彼は経済学者で実業家でもあった堤 清二。学生時代、共産党員でもあったが、後に除名されている。
 ひたすらユートピアに生きる人びと訪ねる辻井喬と、トルストイユートピアが今も生き続けているロシアの大地に、番さんは感銘を受け、旅人、辻井喬の人生に思いをはせる。ユートピアを夢見た番さん、ぼく、多くの人たちの胸にも、この風雪を刻むロシアのコミューンに生きる人々が心に深く沈潜してくる。
 番さんはそのドキュメントの最後に現れた辻井喬の詩の全文を書いていた。この全文を書きたいと思った番さんの気持ちがある。 

          吟遊詩人     辻井喬

    吟遊詩人になれるなら
    デカブリストについて唄いたい。
    反乱に失敗して流された
    男たちの後を追ってバイカル湖まで来た
    女の愛について唄いたい。
    どんなに水が澄んでいても
    歴史の行く先を見透すことが出来なかった
    ちょうど現代と同じように。
    民衆の愚かさは自分の愚かさだったと
    ほぞを噛む想いで振り返った彼らのことを
    未来を信じる力を失った私は
    せめて夢の中だけでもいいから
    低い声で唄いたい
    吟遊詩人のように。


「デカブリスト」は、ロシアのツァーリズム(専制君主権力)の転覆と農奴制の廃止を目指して1825年12月に武装蜂起した貴族出身の革命家たちである。
 辻井喬は2013年に亡くなった。