社会は進んでいるか、変革しているか


 1982年に、ミヒャエル・エンデとエアハルト・エプラー、ハンネ・テヒルの三人は、オリーブの森で語り合った。
 その記録「オリーブの森で語り合う  ファンタジー・文化・政治」が当時出版され、多くの人が読んだ。
 エンデはドイツの作家、エプラーはドイツの政治家、テヒルは女性の演劇人。生きがいとは何? 本当の教育とはどんなもの?
 エンデが言う。
 「今世紀に入ってからはポジティブなユートピアというものが、ほとんど描かれていない。ウェルズやハックスリー、オーウェルを読んでも、見えてくるのは悪夢でしかない。人びとは未来に不安をいだいている。私たちは、自分が何を願っているのか、勇気を出して考えようとしない。百年後の未来を想像し、世界はどんなふうになっていてほしいのか。『そんなのは無理だ』という言葉は禁句にしようじゃないか。
 資本家、企業経営者は、この調子で成長していけば、熱量が限界を越え、資源が枯渇し、破滅に向かうしかないということを問題にしない。自分たちの生きている間はなんとかなると思っているようだ。つまり成長社会の継続だ。新しい形の経済を発見するとか、生活様式を転換するとか、そういうことができないものか。何ひとつ根本から考えようとしない。自然を搾取することが続けば大変なことになると考えない。」
 エプラ―が言う。
 「それでも成長のスピードダウンという考え方が生まれてきている。たくさんの人がある特定のモノを持たないでやっていこうとするだけで、成長のスピードが抑えられるらしい。人びとの価値観とか欲求とかがちょっと変化するだけでも、変化は経済に波及していくよ。」
 エンデが言う。
 「今の大学での科学教育を観察すると、特定の目標をめざして学生は訓練されている。真理の探究をしながら人間形成をめざすという大学はとっくの昔に消えてしまった。今はただ専門教育の訓練の場になっている。政治、経済、文化はそれぞれ独立していなければならないんだ。文部大臣というのは自己矛盾なんだ。文部省という政治システムの下に教育・文化が置かれて、政治の下に文化が位置付けられている。これでは国に従属することになり、自由な精神は生まれない。」
 テヒルが言う。
 「子どもの時,、聞かされたお説教にこんなのがあった。『まず仕事。楽しむのはそれからだ』。そうこうしているうちに現代社会はそのお説教が規則になってしまった。『まず仕事、生活はその次だ』。こういう思想の定着に大きく貢献したのも戦後世代なわけ。精神や心の欲求は抑圧され排除された。ともかく経済的な再建をしなければならなかった。
 私たちはユートピアを忘れてはならないのよ。経済においても私欲のない思考が中心であるようなユートピアから出発すべきじゃないかしら。」
 エンデが言う。
 「資本主義は病気の温床なんだ。共産主義的国家資本主義も同じさ。未来に存在できるのは、非資本主義社会だけだ。でなければ社会なんて存在しなくなる。友愛にもとづく経済があり、平等を実現する法・政治があり、そして自由な精神が存在する。」
 自由・平等・友愛はフランス革命の三つの理想だった。
 同時期にもう一冊の本に出会った。赤、黄、緑、青の絵具を塗り拡げた表紙の明るさと、ふんだんに入れられた写真を見ただけで楽しくなった。本の題名は「世界のシュタイナー学校はいま」。
 著者の子安美知子は、六歳の娘の手を引いて、ドイツの「ミュンヘンルドルフ・シュタイナー学校」の門をくぐった。
 子安は、エンデと親交を深め、アントロポゾフィーと呼ばれるシュタイナー思想を学び、そして同志とともに東京シュタイナーシューレを立ち上げた。
 
 あれから36年が経った。日本の社会、日本の政治、そして世界の状況や如何?