ヘブライ人奴隷の合唱

  



 この春は、シューベルトの「夕映えのなかに」を何度も聴いた。心がこの曲を求めている。このごろは散歩しているときにも、メロディが浮かんでくる。
 一つの歌の力というのがある。
 丘の上のムラにいたとき、音楽の好きなひとりのおじいさんがいた。たずねて行くと、おじいさんと、おばあさんが六畳の部屋に住んでいた。ぼくは、そのおじいさんから音楽の話を聞きたくて訪れたから、喜んで迎え入れてくれた。雑然とした部屋の中に、小さなCDラジカセが置いてあった。
 おじいさんは、学校を卒業して会社に就職してからのことを話してくれた。初月給でベートーベンのレコードを買った。フルトベングラ―の指揮する交響曲だった。そこへ召集が来た。入営して数カ月すると、ソ満国境に送られた。満州ソビエト連邦との国境警備兵だった。極寒の地は厳しく辛かった。おじいさんは結核になった。
 軍はおじいさんを日本に送り返した。おじいさんは大阪で療養生活を送りながら、文鳥メジロなどを売る小鳥屋をやった。小鳥を仕入れてきて、鳥かごで小鳥を世話し、ごくたまにやってくる客に売る。
 太平洋戦争が始まると、大阪市内にも爆弾が落ちるようになった。大阪大空襲がやってきた。おじいさんの住んでいた木造の家にも焼夷弾が落ちた。おじいさんは家を棄てて逃げた。爆撃が終わり、焼け野原になった元の家に帰ってみると、すべては灰になっていた。毎月月給で買いためたレコード数十枚は、形を残して灰になっていた。小鳥も燃えて灰になっていた。涙は涸れてしまった。
 わたしは今、丘の上のこのムラにいる。平安な暮らしをしている。私の好きな曲は、モーツァルトの作曲した賛美歌「アヴェ・ヴェルム・コルプス」です、と言った。モーツァルト晩年の傑作と言われている。おじいさんは、CDをたくさん部屋の隅に置いていた。バッハは南極の雪の大平原で聴く音楽です、と言った。
 それを思い出して、今朝「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を聴いた。
 ユーチューブを開けてみると、ヴェルディの歌劇ナブッコの「ヘブライ人奴隷の合唱」というタイトルを見つけた。どんな曲だろう、ユーチューブで七百七十万回視聴されていると出ている。それを開けてみた。「ヘブライ人捕虜たちの合唱」とも訳されているその大合唱は、二十年前頃、家内が買ったCD のなかにあり、それが「ヘブライ人奴隷の合唱」であるということを知らず、いったいこの心に迫ってくる曲はなんだろうと、聴くたびに思いはするものの正体を調べることをしてこなかった。
 その正体が今朝やっと分かった。
 ヴェルディのオペラ「ナブッコ」が作曲された1842年、イタリアはオーストリア支配下にあった。そのとき熱狂的に歌われたイタリア第二の国歌とも言われている曲が「ナブッコ」だという。それは、捕らわれのヘブライ人(ユダヤ人)が祖国への思いを歌う合唱だった。この合唱は、ヴェルディの葬儀でもトスカニーニの指揮で歌われた。
 「ナブッコ」とは新バビロニア王国ネブカドネザル2世のこと。
 チグリスとユーフラテス川にはさまれた肥沃な土地にメソポタミア文明が栄えた。
 紀元前1000年頃、その地に王国が形成され、ダビデ王、ソロモン王の2代にわたり栄華を誇ったが、ソロモン王の死後、イスラエルとユダの2王国に分裂した。北のイスラエルは紀元前8世紀後半に、アッシリア帝国の滅ぼされた。南のユダ王国は、新バビロニア王国ネブカドネザル2世により、首都エルサレムを攻撃破壊され、貴族や、軍人など約11万人以上がバビロニア強制移住させられ奴隷にされた。これが世界史の授業でも習う「バビロンの幽囚」。
 奴隷たちユダヤ人は新バビロニアの滅亡で解放されたが、母国再建はならず、世界各地に離散していった。

    ヘブライの捕虜達の合唱

  行け我が思いよ 金色の翼にのって
  いって憩え 故国の丘の山に
  そこは甘いそよ風が
  暖かく柔らかく匂っている