石垣りん 「行く」 


木が
何年も
何十年も
立ち続けているということに
驚嘆するまでに
私は四十年以上生きてきた。


草が
昼も夜も
その薄く細い葉で
立ち続けているということに
眼をみはるまでに
さらに何年ついやしたろう。


木は
木だから。
草は
草だから。
認識の出発点は
あの辺りだった。
そこから
そべてのこととすれ違ってきた。


自分の行く先が
見えそうなところまで来て
私があわてて立ち止まると
風景に
早く行け、と
追い立てられた。





 この詩について、三木卓は言う。
 「自然とは生死の世界です。自然に所属するということを優先して考える者が思う『自分の行く先』とは死のことです。そのような認識に達し、ひとつの展望を得た『私』はここで世界と人間のことをじっくり考えたいのに、もう、人生の残り時間が少なくなってしまっていると……。」