丸山薫「原子香水」




     原子香水


  わずか一個かの爆薬で
  地表の半分を吹きとばすより
  たった数滴の香水が
  世界の窓を 野を 海を
  われらの思想と
  言葉の自由を匂わしてほしい
  ああ 誰かそんな香水を
  発明しないものか


  貴重なその一ビンをめぐって
  国際管理委員会を設けよ
  人類のもっとも光栄に輝くあさ
  それらの噴霧を
  たなびくバラのハンカチに浸ませ!
  スミレ色の空からふらせ!


 核兵器について国際管理委員会ができるように、「原子香水」というものがあって、その貴重な一ビンをめぐって国際会議がもたれたら楽しいだろうという、この詩人らしい絶妙な空想。原子爆弾の恐怖の戦慄を、逆に歓喜の戦慄に変えるために、そんな香水を誰か発明しないものか。香水は数滴で我々に幸福感をもたらすものだから。
 大岡信はこの詩に、こんな評を書いた。


 全人類を何回も何百回も殺戮することのできる核兵器を人類は保有しており、それを管理するのは核保有国の政府だ。政治権力者が狂えば、判断を間違えば、管理を怠れば、いつ何時それが使用されるか分からない。ヒロシマナガサキはそれを証明し続けている。
 丸山薫は、昭和20年5月、東京大空襲で焼け出され、山形県の西山村に疎開した。そこで小学校の教員を三年間つとめ、子どもたちと暮らした。その遍歴が彼の詩を変革した。

 この詩の「香水」が象徴するものをぼくは想像する。「心の香水」は「言葉」となって現れる。絵ともなる。音楽ともなる。
 限りなく今、新緑は芳(かぐわ)しい。木々の芽吹きは麗しい。
 野や山、森や川に、花々、緑葉は、匂い立つ。
 人びとを包み込む、それこそ天然の香水。
 自然界のなかに「香水」はある。