希望とは地上の道



南北首脳の板門店会談の実況放送を見ていて、ぼくは胸が熱くなった。
東西ドイツが一つになったときの、あのベルリンの壁崩壊のような道を歩んでくれ。
二人の姿は、ドイツの市民がつるはしをふるってベルリンの壁を壊している姿を思い起こさせる。
この春まで、戦争前夜のような見通しのない暗闇があった。太平洋戦争勃発の原因となった制裁と似た状況が生まれつつあった。そこに一閃光が入った。ためらいがちに、希望が湧いてくるのを覚える。
軍事境界線をまたいで金委員長は南に入った。対面した二人は握手し、金委員長の促しで文大統領と手をつないで北側に境界線を越えた。
金委員長が言う。「簡単なことさ。どうしてこんなことに長い年月を要したのか。」
これまでこの境界線を越える者は射殺された。
二人が歩いて証明してみせた「簡単なこと」。二人はまたいで、またぎかえして、再びまたいだ。
「やってはならないこと」にしてきた原因は、人間の頭の中にあった。
イムジンガンの歌は「鳥は自由に飛び交うよ」と歌った。
イマジンの歌は「国境なんて ないんだと想像してごらん。簡単なことさ」と歌った。
歴史を変えるのは人だ。
理想に向かって、やってみる人が、歴史をつくる。

ぼくが幼児のころ、まだ戦争中だった。住んでいたのは大阪市、近所に二歳か三歳年上の金君がいた。ぼくの家が郊外へ疎開し金君のことはすっかり忘れていた。三十歳になってその地へ行く機会があり、たずねてみると、金君は北朝鮮へ帰っていったという。
その頃ぼくは勤務していた中学校に「コリアン友の会」をつくった。そこに来ていたコリアン生徒の一人は孤児だった。彼の保護者をしていた人は北朝鮮を支持し、祖国ならば孤児も幸せになるだろうと北朝鮮への帰国船にその孤児をゆだねた。
それ以後、拉致問題や核開発やらで南北問題は揺れ動き、制裁で庶民の生活は苦しくなっていた。南北問題は険しくなった。

彼らは幸せになっただろうか。
魯迅は小説「 故郷」に書いた。
「希望とは地上の道のようなものである。歩く人が多くなれば道になるのだ。」