谷中村→水俣→福島、この国の抑圧の歴史



 3.11、今日は震災4年目だ。
 東日本大震災に起因する死者・行方不明者は19475人、自殺を含めた震災後の関連死は3194人。だが、こうした数字では一人ひとりの生と死は見えない。一人ひとりの人生が隠れてしまう。
 亀山純生(倫理学・宗教学)が書いていた。(「季論」2013春号)
 <大震災のなかで突然の肉親の死に遭遇した多くの遺族の思いを契機にして、改めて生者と死者との関係を問う。この問題に最も敏感に応答し「死者との協同」という鋭い問題提起を行っている一人が批評家の若松英輔氏である。氏は、遺族が「幽霊でもいいから出てきてほしい」と、みんな口をそろえるというレポートを紹介しつつ、「死者の問題に向き合うことなく、震災の問題に本質的な解決は見出せない」と言う。>
 そして、「多くの生命を脅かす出来事があって、人が次々と亡くなってゆくなかで、死者とともに問題を解決しようとした例」として、水俣運動に注目している。石牟礼道子は、
「死者をありありと感じる一群の人々がいて、彼らがそれを真摯に語ったとしても、それにふさわしい態度で受け入れるものが少ない、それが現代です。」
と言う。
 その石牟礼道子は、エッセイ「わが死民」のなかにこんなことを書いている。
 <水俣の風土は、ここを逃れ去ることかなわぬという意味において、わたくしには、愛憎ただならぬ占有空間である。ここを犯すものをわたくしはゆるせない。チッソはわたくしの占有領域を犯し去ろうとしたのである。たぶんわたくしは最後の先住民のひとりではあるまいか。ここを脱出できないものたちの、それがたったひとつの生存の意志ないしは、総意というものである。>
 水俣を福島に、チッソ東京電力に置き換えて、ぼくは読む。石牟礼道子はまた、「亡国のうた」のなかに書く。
 <大正十四年、チッソは工場汚水の補償を漁業組合から要求されたとき、「永久に苦情を申し出ない」ことを条件に、木の葉を金に換えたような見舞金千五百円也を支払う。昭和十八年、問題再燃。チッソは再び次のような補償契約を結ばしめる。
一、工場の汚悪水、諸残さ、塵挨を海面に廃棄放流することによる、過去および将来永久の漁業被害の補償として、十五万二千五百円を支払う。
二、組合および組合員は将来永久に一切の損害補償を主張しない。
 不浄の金にまみれたことのなかった人々に見せ金をしてあざむいた。この時より思えばわたくしの海はのろわれる。売買されてはならぬものが金に換えられた。
 迫りくる生存の危機感から、不知火海沿岸漁民約四千名が工場になぐりこみに出た昭和三十四年暮れ、チッソは再三正体を暴露する。悪名高きかの水俣病患者家庭互助会に結ばしめた見舞金契約書がそれである。
 死者の命三十万、不治の体の子どもの命年間三万(一万円で妥結させようとした)、大人の命十万とし、将来、水俣病の原因が同工場廃水であるとわかっても一切追加補償要求を行わぬ旨の一札をとった。以後物価変動にともない要求されて、若干値上げしたが、患者二十九世帯が四十四年六月訴訟提起するに及び、被告側第二準備書面にこの見舞金契約条を麗々しくかかげ、「和解契約」とよびまぎらわし、患者らの本訴請求を理由なしとして、先住地域住民の生命を自社の製品以下に扱い、臆面もない。
 明治十年代の足尾鉱毒事件以後、今日に引き継がれてあらわれた渡良瀬川流域の巨大な荒廃は、同じ思想の源流からよりきたり、至るところ、国土資源の荒廃は果てしない。
 「亡国に至るを知らざればこれ即ち亡国なり」。亡国とは「自分の大切なるところの人民を自分の手にかけて殺す」ことだと田中正造はいった。「亡国」の亡霊が、水俣病事件を予兆として1970年代によみがえるのを私たちは見る。>
 古河鉱業足尾銅山が垂れ流した鉱毒渡良瀬川を汚染し、沿岸農地を不毛の土地にした。明治三十五年八月の洪水で堤防が決壊すると、栃木県はこれを修復せず、決定的な破壊を加えた。谷中村民は近隣町村の援助をも得て、自費で麦をとるための水止め工事を行うが、県はこれを河川法に触れるという理由で原状回復を命令する。さらに国は洪水対策として、谷中村の大地を買い上げ、遊水池にして水の下に沈めてしまった。
 命をかけて政府と闘う田中正造は谷中村買収問題について演説している。
 450戸ある谷中村を、四十八万円で買収して、住民を追い払ってしまったと。農民が祖先から四百年かけてつくってきた村は、その四百年の歴史が積み立ててきた財産であり、それは金額で購うことはできない。
谷中村から水俣、そして福島へ、国家権力と結びついた巨大企業がこの国の民の命を奪ってきた。
今、福島で何が起こっているか。
今年2月12日、甲状腺がん、またはその疑いありと診断された子どもは合計118人に増加した(福島県「県民健康調査」検討委員会)。2014年11月11日、国立がん研究センター長の発表があった。原発事故前に比べると、福島県では小児がん罹患率が61倍になっている。
 家族を失い、いまだ仮設の避難住宅に暮らし、故郷に帰還したいが帰還できない。故郷のコミュニティは復活せず仕事はなし。自殺者は続いている。顧みられない死者たちの群れがさまよう。