謎の古酒

 戸棚の奥の方から、古ぼけた一本のビンを家内が引っ張り出してきた。
「こんなのが出てきた。」
 見ればワインか何か、酒のビンだ。ほこりもついた、色あせたレッテル。
「あー、それかいな。」
 さよう、奈良の御所から持ってきた、あのナゾの古酒。まだ、そこにあったんかい。すっかり忘れていた。そんなところにあったとは。
 これ、飲めるんかなあ。飲めそうにないなあ。飲んだら毒やったりして。いったい何十年前の酒なんやろ。
 2000年、大和吉野の山間部に「森の学校、山の学校」をつくろうと、もう使われなくなった小中学校の廃校を訪ね歩き、下市町の山の峠に小学校の廃校を見つけた。教育委員会に使わせてほしいと許可を願い出ると、初めはいい返事だったけれど、後から貸せないという連絡が入り、それ以外の廃校もうまくいかず、その後、奈良の御所というところの、金剛山葛城山の麓の村で、小さな古空き家を紹介され、そこを修理して移り住んだ。家の持ち主は、橿原市に住んでおられる元近畿大学教授の木村さんで、25年前まで家族で住んでおられたが、その後はときどき句会で使ってこられた築80年ほどになる家だった。
 屋根瓦は下にずれ、壁に隙間が開き、日は当たらず、少し建物が傾いている。大地震が来れば、ぺしゃんこになりそうだから、家のそばに生えているイチイの大木の幹と建物の梁を自力で連結し、屋根瓦を一枚一枚押し上げ、壁を塞ぎ、井戸水を生活用水に、畑を耕し、自然生活を5年間楽しんだ。
 その家に、この酒ビンが残されていたのだ。
 木村さんは、この酒を飲まないで残しておられた。
 「居抜きやから、家に残してあるものは全部あなたのもの。家もあげます。」
 木村さんはしょっちゅうそう言っておられた。安曇野に引っ越す時、この古色蒼然とした謎の酒ビンの栓をあけず持ってきた。あまりに古そうで、栓を開ける気にならなかった。
 現れた古酒。どうする? 処分してしまうか。とても飲めそうにない。何て書いてある? 張ってある紙も文字も色あせて、よく読めない。いっぺん、飲めるかどうか、ちょろっとなめてみるか。
 その前にいったいこれがワインなのか何なのか、調べてみるべ。
 HERMES VERMOUTH と書いてある。虫眼鏡で小さな字を読むと、KOTOBUKIYA
 サントリーの前身、寿屋が発売していた「ヘルメス ベルモンテ」、ふーん?
 ベルモンテを調べたら、白ワインにニガヨモギなどのハーブを入れてあるそうで。飲んでも大丈夫かいな。ネットで調べたら、沈没船のなかに見つかった二百年ほど前の「奇跡のシャンパーニュ」は最高だったそうで。
 まずは試飲してみよや。夜に、ちょいと一口ふくんでみた。おりゃ、これはいい味だぞい。香りもいいでえ。
 そこでもう一度、ネットで調べたら、おーりゃあ、同じボトルの古酒の写真が見つかった。値段が5900円なり。1960年ごろのものらしい。我が家のこれは、それよりも古そうだ。しもたあ、もう、栓を開けてしもうたよ。