佐々木修さん個展「雪稜賛歌」

 佐々木修さんの絵画展の今日が最終日になるということで、午前中、松本市内まで行ってきた。
 佐々木さんは、我が家から山のほうへ、田中の道を300メートルほど行ったところに住んでおられる。今日が最後になる一週間の個展は、松本市中町通りにある古民家をギャラリーにした「蔵シック館」で開かれていた。個展のテーマは「雪稜賛歌」、すべての作品が雪山なのだ。よく似たタイトルの「雪山賛歌」という歌がある。それは、戦後の登山ブームのころ山でよく歌われた。佐々木さんは「雪山」ではなく「雪稜」としたが、絵を見ると、なるほど「雪稜」なのだと思えてくる。濃紺を基調にした深遠な色あいの空、峻険にして静謐な雪の稜線、空と峰との接点に潜む神秘、それはやはり雪稜なのだ。
 「雪山賛歌」という歌は、戦前の1927年、京都大学山岳部の西堀榮三郎が、山で仲間たちと「山岳部の歌を作ろう」と詩を書き、アメリカ民謡『いとしのクレメンタイン』のメロディーに合わせてつくった。
 今日は「安曇野スタイル2014」の最終日でもあったから、佐々木さんの絵画展を見に行く余裕はないなあと思っていた。個展は10月28日から開催されていたから、どこかで時間を生み出して観に行こうと思っていたにもかかわらず、その日その日が結構忙しくて行けず、とうとう最終日が来てしまった。昨日の晩は、佐々木さんの個展はもう観にいけない、終わってから挨拶に行こうという結論を出した。ところが今朝、決断が変った。それは、昨日二度目の案内状のハガキがポストに入っていたからだった。佐々木さんは、ぜひ観にきてほしいと願っている、その思いを受けたい、なんとか行ってこよう。勃然とぼくの胸に湧いたのは、佐々木さんの絵を観る楽しみだった。佐々木さんの絵からにじみだす玲瓏の気。佐々木さんの家で見せてもらった山の絵の数々が心に浮かぶ。あの日、佐々木さんの家には、佐々木さんが手づくりしたという薪ストーブが設置してあった。本格的な鉄製ストーブにはシャッポを脱いだ。
 朝、コースをいろいろ考え、車がすいている間に松本市内に入り、開智学校近くのパーキングに駐車した。そこから徒歩で会場へ向かう。
 これは正解だった。今日は松本市内は祭で、道路のあちこちでイベントが行われている。とても車で市内を回ることは困難だった。松本城の堀に白鳥と鴨が遊んでいた。落ち葉が道に降り積もっている。落ち葉かきをしている人がいる。紅葉が美しかった。中町通りには野菜・果物の出店やいろんな店が出ていた。なんとなくなつかしい思いが湧いて、市内散歩も楽しい。20分歩いて会場の蔵シック館に着いた。
 佐々木さんの個展は「蔵シック館」の二階で行われていた。大きな古民家の吹きぬけは入り組んだ梁をさらけだし、土間から上がると床や階段の木は黒光りしている。
 佐々木さんはお客さんと話をしていた。ひっきりなしにお客さんがやってくる。ぼくの顔を見て佐々木さんは笑顔で応えてくれた。
 部屋にはいると、絵の山々がぼくを取り囲んだ。北アルプスの山々、ヒマラヤの山々、ひときわモルゲンロートが岩壁に照り映えて紅いのは穂高のジャンダルムだ。雪の稜線の山襞に映る光と影、簡潔にして精密、音のない雪の世界が心にしみる。夜空は紺碧、そこに星、先日の皆既月食の光の輪もあった。日ごろ見ている蝶ヶ岳常念岳もある。あのなつかしいヒマラヤのマチャプチャレがそびえていた。ぼくが50歳のとき、単独行でアンナプルナのトレッキングをしたとき、マチャプチャレはずっと視界にあった。
「こんど、山の好きな明さんや、正さん、博秋さんらと、アフタヌーンティでもしましょう」
 「いっぱい、やりましょうよ、山を語り合いましょうよ」
 佐々木さんは、やっぱり酒だな。展示場の外の廊下に酒瓶らしいものが見える。
 「そうしましょう」
 ご近所のアウトドア派と楽しい山の談論。薪ストーブを囲んで、うん、うん、山物語だ。