夜明け

 朝、まだ薄暗い。東の山際は朝焼けがきれいだ。日の出が近い。
 道の向こうに赤っぽい服が見える。あの少年だ。彼は中学一年生、とぼとぼと歩いてくる。ランを連れて近づいていくと、いつものように寒そうに手をポケットにつっこみ、頭をフードでおおって、こちらを見る。毎朝こうして歩いてきて、我が家の辺りから引き返す。なぜそうするのか、いろいろ想像するが分からない。一度、
 「おばあちゃんの家に行く?」の
と聞いてみたが、「違います」と答えただけだった。でも何かわけがあるのだろう。誰も通らない道で出会うから、声は掛けることにしている。今日は何を話そうかな。
 「おはよう」
 声をかけると、彼は小さな声で「おはようございます」と応える。
 「東の方に、ほら、あそこ。煙が上がっているだろ。」
 「はい」
 「あの上に遠く、とがった山が見えるだろ。」
 「はい」
 「あれ、蓼科山なんだけど、あの左、山がいちばん低くなったところから、冬至の頃は太陽が出たんだよ。7時15分ごろね。ところがそれから1月になっても日の出の時間が遅いままなんだよ。なんでだろう、と観察していたら分かったんだ。太陽の昇る位置が左へ移動していくんだが、そこに美ヶ原がそびえているだろ。頂上に鉄塔が見えるね。あの山があるから、太陽が出る時間が遅くなるんだな。今日はほれ、美ヶ原の左の方の空が紅くなっているだろ。あの辺りから日が出るよ。」
 「はい」
 少年は目だけ出している。その目がしっかりこちらを見ている。
 「三百年ほど前、ルソーという人が書いているんだよ。」
 「はい」
 ぼくは前に進み、彼は後ろへ歩いていった。しっかり人の目を見て話を聞く子なんだな、と思う。

 ルソーは「エミール」の中にこう書いている。
 「ある美しい夕暮れに、われわれは、広々とした地平線上に、沈んでいく太陽がすっかり見晴らせるような場所へ散歩に出かける。そして大陽がどこに沈んだかを示している目印になるようなものをよく見ておく。翌朝、さわやかな空気を吸うために、日の出前に同じところにまた出かける。姿を現わす前から、太陽は火矢を放って、出現を予告している。朝焼けは広がっていく。東の空全体が炎に包まれているようだ。その輝きを見て、太陽が姿を現わすずっと前から、それを待ちかまえる。一刻一刻、もう太陽が現れたのではないかと思う。やっとほんとうに太陽が現れる。光り輝く一点が、稲妻のように、あっというまに空に充ちる。闇の幕は切って落とされた。人間はその住みかを目にして、前よりも美しくなったと思う。‥‥」