四囲の山々


                 爺ガ岳鹿島槍ガ岳


 小型の柴犬を連れて朝の野を散歩しているNさんに出会った。いつも何か一言、話を交わすだけのお付き合い。今朝は何を言おうかなと思いつつ近づく。北の空遠くに雪山がある。それが目に入ったからあいさつはそれを話題にした。
「あの雪の山は、妙高ですね」
 北北東の方角遠く、山また山の間にそびえる峰、Nさんは、
「私もよく分からないだが、妙高じゃないと思いますよ。聖高原の山じゃないですかね」
と言う。JR篠ノ井線安曇野の東部を、松本から篠ノ井を経由して長野駅に向かって走る。聖高原篠ノ井の手前、安曇野からは東北の方角にあたる。
聖高原? そうですかね」
 目にするあの山は、聖高原よりももっと北の山だ。Nさんはこの地に生まれ育った人だと思うのだが。
 では、あの山は? ぼくは後ろを振り返り、南の方にある雪山を指差して言った。
「あの三つの山は、右が仙丈岳、左の端が甲斐駒ガ岳、その間にあるのが北岳です」
「いや、あれは八ガ岳ですよ」
 Nさんの答えは、これも違った。
「そうですかねえ。地図で確認すると、そうなるんですよ」
 昨日も地図に定規を置いて、確かめた。甲斐駒ガ岳と安曇野の現住地を直線で結ぶと、甲斐駒ガ岳は南南東の方角になって、眼で見る方角と一致する。日本で二番目に高い北岳は、安曇野からでは、二つの山より見た目に小さく見える。それは北岳が少し距離が遠くにあるからだ。仙丈岳の山容はどっしりと大きく、北岳はピラミッド型に尖り、甲斐駒は鋭く大きい。北岳は20代のときに教え子二人と登り、仙丈岳と甲斐駒は40代でひとり登った。これらの山々はいずれも南アルプス3000メートル級の雄峰だ。Nさんは、やはり八ガ岳ですよ、と言う。そこでぼくは東の山を指して、
「美ヶ原山と高ボッチ山の間に、そびえている山、あれが八ガ岳だと思いますよ」
と言う。美ヶ原山と高ボッチ山の間の、山が低くなっているその向こうに、一箇所ピークの高くそびえる連山があり、雪も積もっているようだ。あの高いところは赤岳だろう。それが八ガ岳だと気づいたのは最近のことだった。これまでどうしてそれに気づかなかったのか不思議な感じもする。アルプス公園あたり、少し高い位置に行くと、蓼科山が見えたから、じゃあ、あの右あたりに八ガ岳があるはずだがと思いつつ、八ガ岳は見えないものと決めて6年も過ぎ、あれは確かに八ガ岳だと認めることができたのはつい最近だった。地図上に八ガ岳の赤岳とアルプス公園を直線でつないでみると、美ヶ原と高ボッチの間を確かに線は通る。
 けれどもNさんは、
「いや、ちがいます。八ガ岳は塩尻峠の南の、あの山です。塩尻峠がその手前ですから。富士山もあっちの方向です」
とおっしゃる。車に乗ってあちこち出かける。頭に地図ができる。その地図を頭に思い浮かべると、塩尻峠を越えると諏訪湖があり、その向こうに八ガ岳がある。そしてさらに向こうに富士山がある。だからNさんの言うのももっともである。頭の中にできている地図、その地図もその人の認識の仕方で異なるものになる。その人にはその人の方向感覚があって、そう思う。それを否定しても納得は得られない。それはそれでいい。平行線のままでいい。
Nさんは、別れ際にこんなことをぼそっとつぶやいた。
「この景色、いつまで続くでしょうかね」
 雪の常念岳が今日は美しい。西から北へ、常念、燕、餓鬼、爺、鹿島槍五竜、唐松、白馬連峰、と続く山並み。そして南に甲斐駒、北岳、仙丈の南アルプス、東に八ガ岳連峰、美ヶ原、北に妙高、戸隠、安曇野の四囲を取り巻く山々。
 Nさんの最後の一言にこめられた想いがぼくの胸に響いた。Nさんがデジタルカメラで山の写真を撮っておられる姿を見たことがある。Nさんも安曇野の環境、景観の美の変化に関心を持ち、憂える気持ちがあるのではないかと思った。山は変わらない。しかし人の住むところは、野放図に変わっている。この一言で、Nさんが近くなった。