反日と反中のはざまで


 雪ちゃんは中国の大学で教えている。「雪ちゃん」はニックネーム、ぼくが武漢大学で教えたとき、雪が好きで好きでと言っていたのを聞いた日本人留学生が、彼女にそのニックネームを贈った、と聞いた。今年2月初めに春節のあいさつを雪ちゃんに送ったところ、半月ほどして返事が来た。返事が遅くなったのは、
 「冬休み&春節で、夫の故郷(湖南省)とわたしの故郷(湖北省)に帰っていました。田舎なので、ネットがつながらない状態でした。学校に戻った今はようやくパソコンを使うことができてメールが読めるようになりました」
ということだった。
 この一年間余り、何度も何かを書こうと思ったけれど、メールを書けなかったと、彼女は書いていた。書こうと思うこと、話したいと思うことはたくさんある。けれど、心が進まなかった。そのわけは、とこう書いている。
 「中日関係の現状が原因にあるのか、日本語で書くことにストレスを感じるからなのか、つい書かなくて今になってしまいました。」
 日中の関係はよくない。政府間の関係の悪化は、民衆レベルにも及んでいる。中国では政府系メディアの情報やネット世論が社会に影響を与えている。日本でもネット世論と民間のメディアがあおりたてている。中国と韓国では反日、日本では反中と嫌韓が勢いづいている。
 雪ちゃんは2年前日本に日本語研修に来て、ぼくの家にも数日間滞在して行った。日本が好きで、日本の古典が好きで、ぼくの書棚にあった百人一首の本がほしいと言って持って帰った。
 中国駐在のジャーナリスト(林望)がこんなことを書いている。
 「安倍首相が靖国神社に参拝した昨年12月26日、訪中していた小渕優子衆議院議員ら若手議員団と劉延東副首相との会談は、劉氏の『急な公務』を理由に中止された。中国外務省幹部は後日私に、『あの日会談したら、中国の指導者は、関係改善のために足を運んでくれた小渕氏たちに厳しい言葉を浴びせなければならなかった』と語った。中国政府は、国内世論をかなり意識しており、指導者や官僚は『日本寄り』と受け止められることを恐れる。過去に、『日本通』と言われてきた一部の高官や学者が今、日本批判の急先鋒になっている姿も、彼らが国内でさらされている重圧を物語る。政治の世界だけではない。大学でも日本語学習者が減り、他の言語への転科を望む学生も少なくないと聞く。『理解者』を追い込めば、そのツケはいずれ日本に跳ね返ってくることだろう。」
 雪ちゃんには、書きたいことは山のようにあるけれども、その思いを率直に、正直に書けないもどかしさがあり、それでメールを送れなかった。日本の理解者である若い教師が、どのような状況に置かれているか、ぼくはそれを想像し理解する。身の細る思いだろう。もし中国社会で、日本語教師であるということを隠したいという思いに襲われるようなことがあれば、どうなる。
 そして日本で、憎中、嫌韓の意識、世論がムードのように増殖すれば、どうなる。親中、親韓であることを隠さねばならないと思う人たちが増えていったら、どうなる。再びもの言えぬ国になる。そして君臨するものが国を引っぱることになる。
 「反知性主義」という言葉が出てきた。「実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解しようとする態度」であるという。「新しい知見や他者との関係性を直視しながら、自身と世界を見直していく作業を拒み、自分に都合のよい物語の中に閉じこもる姿勢」だという。
 ヘイトスピーチが庶民の眼前で叫ばれていても、それを黙認し、ヘイトスピーチの根底にある考えや意識をのさばらせ、やがて「非国民!」と声高に叫ぶ者たちが増えてくる危険を予感しないとすれば、かつての戦争の道である。
 その危険を予知・予感する知性は、どうしたら身につけることができるか。それは近現代史の学習である。世界の歴史と知見に学び、日本の歴史、日本の研究・議論に学ぶことである。

 雪ちゃんが、メールの最後にこう書いていた。
「息子は今4歳半で、ずいぶん大きくなりました。幼稚園に通っています。
 今の中国は環境の悪化がひどいです。新鮮な空気がいつも吸える都市はなかなかありません。環境の悪化がこんなにひどくなるとは、それは何年か前想像もつかなかったことです。安曇野のきれいな水、晴れる空、緑の森がまだ昨日のように目の前にあります。寒い日を経てこれから美しい春になるでしょう。」