時代の現実を反映する短歌と俳句

 新聞の短歌や俳句の欄を見ると、やっぱり時代が反映している。いい俳句や短歌を創ろうというのではなく、時代に生きるその人の、内からにじみ出る心の叫び。

    いつだって正念場だけど沖縄はいま戻らねばと友は辺野古
                           原田りえ子

 ふるさと沖縄が、作者を駆り立てる。今何を置いても行動しなければならないと思う時がある。やむにやまれぬ思いに突き動かされて、友は辺野古の基地建設阻止に加わるために帰っていった。

    教室に入れない子とアサガオを植えて芽が出る日を待っている
                           田岡亜希

 こういう先生がいて、教室に入れない子の心が救われていく。その子とアサガオの種を一緒に播く。共有する時間が、子どもの生きる力をはぐくみ、人格をつくる。そしてその先生の人格をつくっていく。

    ウミガメのくる浜にごみ拾う子のうしろに迫る原発の壁
                           松井恵

 海岸のごみを拾う子、そこはウミガメが産卵に来るところ。生命の宿るところ。ウミガメのために、ごみを拾う。だが、その背後には一瞬にして命を滅ぼす危険を内蔵した原子力発電所があるのだ。

    どんな声してたんだろうか父親はわれ一度抱きフィリピンに死す
                           草田礼子

 作者のお父さんは一度だけ作者を抱いて出征し戦死した。あれから70年、あの日、我が子を抱いた父はどんな声をしていたのだろう、どんな思いをして死んでいったのだろう。幼い日の記憶に心が痛む。

    字の読めぬ水牛たちが爆死する地雷原いまもラオスに残る
                           武 暁

 「ここには地雷が埋まっているから立ち入るな」、という立て札も水牛たちには分からない。そうして水牛は爆死している。そんな現実がラオスにはあるのだ。今もなお戦争の残骸は起動している。

    シベリアの身元不明者の七十年カタカナ書きの墓標のままに
                           瀧上裕幸

 シベリアの大地には、抑留されてその地に果てた人たちの骨がまだたくさん残っている。七十年たっても身元不明者の人たちの墓標はカタカナ書きのままだ。故郷の人たちも果ててしまったのだろうか。

    メルケルは歴史に終わりはないと言い、もういいだろうと晋三は言う
                           及川和雄

 ドイツの首相と日本の首相の、この違いはどこから出てくるのだろう。「もういいだろうと晋三は言う」、この思想に日本の行方がかかってくることの恐ろしさ。

 現実をうつ短歌、一方俳句の欄ににはこんな俳句があった。

      叩かれてなほ九条は雲の峰
             岡崎正宏

 憲法九条がたたかれて、時の政権の解釈によってピンチに立たされている。しかし九条の理想は人類普遍の希望だ。九条よ、日本人よ、なおも高く理想をかかげつづけよ。夏の雲のごとく空高く。

      国防てふ美名訝し芥子の花
             西村誠一

「国、国民を守るために」としきりに言う。その美名、大義名分をいぶかしく思う。かつての大戦を身をもって体験してきた人たちは、あのころ「お国のために」が叫ばれたことの真実を知っている。今あちこちでケシの花が咲いている。
 
 筑紫磐井俳人、評論家)が、「従軍俳句の真実」というコラムを、朝日歌壇・俳壇の中に書いていた。かの大戦の時、戦争に従軍した作家たちの俳句が膨大に残っており、そのなかの一部を紹介している。わずかな字数で、戦場の真実を切り取る。作者の身心をえぐる、生きるか死ぬかの体験が結晶化しているのだ。

      敵のしかばねまだ痙攣(けいれん)す霧濃かり
                    茂茅 

      馬肉人肉あさる犬らよ枇杷びわ)の花
                    藤花

      虫やみぬ敵か味方か伝令か
                    石穂

      向日葵(ひまわり)やとりかこまれて捕虜稚き(わかき)
                    信二