急ピッチで乱立する看板<安曇野の景観>


 安曇野市を南北に貫く広域農道、今では農道というよりも一般幹線道路としてトラック、マイカーなどがひっきりなしに行き交う。幹線道路としては豊科、穂高の街区を貫く国道147号線が古くからあるが、それよりも田園地帯を走る広域農道の方が、近接する建築物も信号も少なく利用者が多い。将来的には、この道路が安曇野の中心道路になり、商業ゾーンを点在させた観光道路として重要な位置を占めることは間違いない。それだけに、この道路の風格と沿線施設、および景観が安曇野の顔になる。だが今は道路の風格という点では落第。これからなすべきは、建設の経緯でつけられた「広域農道」という無機質な名前を脱して、広く市民の声を聴いた愛称をつけ、住民から愛される道路に育てていくことであり、それをやらなければ、この沿線は無残な光景に陥っていくだろう。すでに今、少し手遅れのような感じもする。あまりにも見苦しく、調和の美も総合の美も乏しい。ヨーロッパや中国など多くの国の道路には名称がつけられ、ヨーロッパは個別観も総合観も美しい。その美は住民によって守られている。

 最近この広域農道の看板が、ますます増えてきている。松本市との境から北の松川村の境目までの看板を大ざっぱに数えてみた。大ざっぱというのは、道路からどの程度の範囲内のものを数に入れるのかはっきり基準をつくらないまま数えたからである。看板も、野立てのや建造物の前に立てられているもの、大小さまざまあり、道路を通りながら見える看板でも建物の壁面や屋根にあるものは数に入れなかった。数に入れなかったものには、次の国会議員選挙に立候補する人のポスターがある。いったいこの候補者たちは、環境保護という政治課題に鈍感なのか、次の選挙をめざして、田んぼのあぜに今もあちこちに平然と立て看を立てている。このポスターも数から省いた。
 そして数えた結果は概数、
 看板450。のぼり250。
 3年前に数えた時は、看板が300だった。急ピッチで増えている。「のぼり」となると、店の前に林立させ、風に吹かれてみすぼらしく、汚らしい。これが安曇野である。環境条例を定めようがおかまいなし、環境破壊、景観破壊は行政、業者、住民の無自覚と怠慢からとどまることなく進行する。今も、新しく立てられた真っ白な「貸し看板」が顧客を呼んでいる。
 日本に住んで、環境と伝統文化への厳しい意見発信をしている東洋文化研究家、アレックス・カーはこう断言する。
「日本は看板推進宣言の国です。看板が多ければ多いほど経済効果が上がると思っている。日本の課題は今後、観光業をいかに育成できるかになります。観光業は、その土地に景観の美しさやロマンがあるか、その美しさとロマンを今に伝えているかによって勝負が決まります。ハワイは1959年に一切の大型看板を禁止しました。看板を規制し、景観の美しさを優先したことによって観光業が成長しました。看板の乱立に経済効果はありません。目立てばいいという看板神話、それがその土地の価値を台無しにします。その認識が日本人にない。
 街おこしに成功した湯布院は、市民グループが看板を抑制する運動を起こして成功しました。
 行政によるスローガンを書いた看板や、道案内・誘導の看板など、公共的な看板も、視角汚染を引き起こしています。スローガンや呼びかけに囲まれても、人間はそれを本能的に無視します。『きれいにしましょう』という看板にいたっては、この看板自体が町を汚くしている。『あれをしてはいけない、これをしてはダメ』、注意の看板は逆の効果を喚起することを肝に銘じるべきです。」(「ニッポン景観論」集英社新書
 

 アレックス・カーは著書に、彼の学んだオックスフォード大学の広い中庭の写真を載せている。長い歴史のある芝生に、ハガキほどの小さな札がたった一枚、緑色で芝生と同じ色、「芝を踏まないでください」と書いてある。それについてカーは、「景観を損なわない工夫だけでなく、芝生への敬意が感じられて、ここに立ちいる人は絶対にいないだろう」と書いている。
 ゴタゴタと見苦しい看板だけの環境になると、その場所に対する尊敬の念が生まれないで、人は粗雑な行動をとってしまう。「ゴタゴタに入れば、ゴタゴタに従え」という法則が発動してしまう。

 カーは、日本には看板が一つでは足りないという原則があるようだと言う。その理由をこう書いている。
1、人間は理解力が足りないから、繰り返し言わなければならない、と思っている。
2、感覚がマヒしていて、メッセージの重複が目に入らない。
3、看板の移設や撤去がタブーになっている。一度建てたらいつまでも。
4、看板は献納を意味しており、より多く設置することが得することになると思っている。
5、看板を左右対称に配置されるのは左右対称の美学からか?
 そして、こういう皮肉も。
 「ありとあらゆるところで、さまざまな形、色、字体の看板に出くわし、目の休まるところがない。看板に書いてさえおけば、人は禁煙するし町をきれいにする、ご多幸もやってくる、消費税も完納するだろうと。」
 アレックス・カーは白洲正子を師に、日本の文化と伝統を学び、美の感覚を磨いた。そして彼は日本の環境の美を取り戻すために、意見具申だけでなく実際に古民家の再生や町おこし、村おこしの活動を日夜続けている人である。安曇野の環境は着々と悪化し、美は破壊されている。
 いちばん上の写真の右側はパチンコ店の開店を示す看板。長野県下で最大のパチンコ店が先日安曇野市にオープンした、パチンコ台が1200、駐車場も1200台分、名古屋の業者が進出してきた。市長が出店を承認したいきさつをめぐって、市民の中から疑問が出た、いわくある店の看板だ。