夢想

 旅人が、ある一点に立って見わたす。東から西、上から下へ、すべてを見回す。一つの大きな絵画を観るように。街中でも、田園でも、山林の中でも、どこに立って観ても、麗しい美観が存在する、そういう地域にしていくにはどうしたらいいのだろうか。
 景観・環境をよくするには、その地域、地方を全体観に立って観ることが必要だ。。
 たとえば諏訪地方の場合、そこは、八ヶ岳連峰、蓼科高原白樺湖高原、霧が峰、高ボッチなど周囲がぐるっと山や高原に囲まれている。縄文の時代はどんな風景だっただろうか。きっとすばらしかっただろうな、と想像する。ほぼ中央の西あたりに、諏訪湖がある。この地域を地図上で計測してみると、直径30キロはある。湖があり、田園があり、街があり、高原、山岳が取り巻いている。その地方の景観はこれらのすべてによって構成される。部分だけ美観を保っても、この地方の全体的な総合的な美観を保全できない。ところが、現実は、蚕食するように、ここに看板を立てよう、ここに道路をつくろう、ここにホテル、店を建てよう、別荘地を開こう、という具合に人間の手が遠慮なしに加えられてきた。
 アカマツを枯らすマツクイムシを殺そう、殺虫剤の空中散布をする、そうした生態系全体を観ない施策が生態系を破壊し、他の昆虫、ハチたちも激減した。それとよく似ている。全体観に立った環境保全がない。がたがたである。ぼろぼろである。
 それぞれの地方にどんな環境ビジョンがあるのだろう。十年後、五十年後、百年後を画く縦軸としての時間軸、地域全体を画く横軸としての空間軸、そのビジョンを行政・住民はもっているのだろうか。その時次第、場当たり的にやってきた結果が、景観、環境を崩壊させているという自覚があるのだろうか。
 八ヶ岳の絶景、蓼科高原霧が峰の麗しい風景。しかし、諏訪地方の全体像は悲惨である。
 そして安曇野

 暮れ方、薄暗くなった道路を松本から安曇野へ入る。広域農道を走っていく。看板の林立。反対車線の車のライトがまぶしい。三郷地区の一部に歩道があり貧疎な並木がある。それはすぐになくなり、道路の両側は田んぼになる。堀金地区でまた短い距離に歩道が現れる。自転車が走っている。夜道の自転車は目に止まりにくい。危険極まりない一車線道路。この道が幹線道路になっている。
 ぼくは相変わらず夢想する。
 この安曇野を貫く幹線道路の、南の松本市域との境から北の松川村との境まで、全コースに自転車道を兼ねて完全な歩道をつくり、並木を植えてパークウェイにする。延々と続く安曇野のパークウェイ、風景は一変するだろう。そして3箇所にできている商業ゾーン、すなわち、Aゾーンのみさとサラダ市・はま園芸周辺、Bゾーンの堀金物産センターからベイシア堀金店までのゾーン、Cゾーンの穂高地区、綿半からコメリまでの商業地区、この3ゾーンに市民広場と公園緑地をつくり、市民の憩いと災害避難の場所にする。そこは、自分のつくった農作物・手づくり作品をもちよる朝市など市民のイベントも開ける安曇野のオアシスだ。
 そして東西の道も整備する。市民に愛される心の通い道である。安曇野の小中学校へ通う子どもたちも、この道を通ってくる。夏は並木が厳しい日差しをさえぎってくれる。春は新緑、秋は紅葉が心にしみる。通学距離のいちばん遠い子は、4キロ近くの距離を歩かねばならない。子どもたちには交通事故の危険のない「歩く人の道(パブリックフットパス)」が整えられる。
 学校には学校菜園と学校林をつくる。自分たちで作ったものを給食で食べる。学校の森には小鳥がやってきて、いろんな昆虫に出会う。遊んで体験して子どもたちは学ぶ。
 市民のウォーキング用にも、歩く観光客のためにも、東西に通じる歩く人のための道をつくれば、安曇野の魅力は倍増し、観光客は増えよう。
 夢想はつぎつぎ広がる。白馬岳の上空がピンク色が闇にとけこんでいく。