⑥  この国の人びと

   


 「ガウディ通り」の散策路に置かれたベンチに座って、道行く人々をなんとなく眺めていた。さわやかに晴れ、プラタナスの木陰は気持ちよい。街路の真ん中に泉水があり、鳩が飛んで来て水遊びをしている。街路や公園に、座りたいなと思う時に座れるベンチがある。ベンチの有無という尺度で社会の文化度が測れるように思う。老人や身体に障害のある人、病身の人、疲れた人などはもちろんのこと、旅の人も居住者も、ベンチに座って街を眺め、しばらくそこに憩うことができる。行く人と言葉を交わすことができる。それは一つの重要な文化だとつくづく思う。日本の国の、病院の周り、美術館・図書館・公園の周り、街路や駅前、それら人びとの集うところに、緑の木陰があり、ベンチがいくつも置かれているところはいずこにありや。
 老夫婦が腕を組んでサグラダ・ファミリアの方へゆっくりと、ゆっくりと歩いていく。お家に帰るんですか。長かった人生も一瞬ですね。私たちも同じです。
 犬を連れた人が通っていく。仕事帰りの人が急ぎ足で行く。子どもの手を引いたお母さんがやってきた。車いすに乗った人も来た。
 奥さんらしい人に支えられ、よちよち歩きでやってきて隣のベンチに座った人は、サン・パウ病院の患者さんだろうか。
 鳩が一羽、すーっと視界を横切って道に下りた。すぐに飛び立とうとして羽ばたいている。ところが鳩は、ばたばたと羽根を動かすが飛び上がれない。どうしたのだろう。数秒間、鳩はくるくると身体を回していたが、ぱたっと動かなくなった。くちばしを地面につけて微動もしなくなった。十秒、二十秒、ぼくも身動きしないで見ていたが、鳩の身体にはもう命の動きは何も感じられない。鳩は死んでいた。数十秒前まで生きて飛んでいたのだ。それなのにこんなにもあっけなく、コトンと死ぬものなのか。生と死とはこんなに淡白なものなのか。一羽の小さな鳩、その小さな空間に静寂があった。

 人びとは道を行く。死んだ鳩に気づく人はいるだろうか。ぼくは観察を続けた。多くの人が死んだ鳩に気づかない。気づいて立ち止まった人もいたが、すぐに歩いていった。
 幼児を連れたお母さんが通りがかった。子どもの眼はすばやい。
 「お母さん、ハトが死んでいる」
 幼児は足を止め、鳩をのぞきこんだ。数歩先にいたお母さんは、子どものところに戻ってきて、鳩を見た。
 「死んでいるね。かわいそうに。さ、行きましょう。」
 たぶんそういう会話だろう。
 小さな犬を連れた人が来た。短い脚をちょこちょこ動かしてやってきた犬は鳩に気づいた。近づいて鼻を近づけようとしたが、飼い主がリードを引いて犬を離し、何事もなかったかのように行ってしまった。
 清掃車がやってきて、清掃員がほうきで当たりのゴミを集めている。彼は鳩に気づいた。清掃員はほうきで紙クズをはくように鳩の死骸を大きなゴミ入れに入れて、清掃車に持っていった。
 小さなカフェがある。パン工房もやっており、陳列しているパンがおいしそうだから店に入った。四人掛けのテーブルが四つ、いちばん奥に座った。運ばれてきた飲みものとパンを食べていると、おばあさんが一人、おぼつかない足どりで入ってきて、隣のテーブルの席に座った。90歳ぐらいに見えた。外気は20度を超えている。けれど、おばあさんは黒いコートを着ていた。おばあさんはなにか言ったようだ。少しして、店の女の子がお皿を運んできた。お皿にのっていたのは、一本のバナナを四分の一に切ったぐらいの、黒っぽい小さなケーキだった。一口で食べてしまえるほどの。おばあさんはそれをフォークで小さく切って食べ始めた。店の奥にパン工房があり、パンを焼いている。その扉が開いて、一人の職人が出てきた。彼は小さなコーヒーカップを持っていて、おばあさんのケーキの前にそれをそっと置き、両手でおばあさんの手をしっかり握りしめ、また工房に戻っていった。一連の動きは無言であった。店の人の、いたわりのようなもの、祈りのようなものを感じた。
 街には、小売店のようなこぢんまりしたスーパーマーケットがあちこちにある。いちばん小さな店で果物を買った。この国は食料品が安い。店番はひとり。イチゴ、ネクタリン、バナナ、サクランボを買った。店のおじさんは、秤で目方をはかって、いくらだと言って、紙袋に入れてくれる。あるじの顔を見ていると、南米の原住民インディオに似ている。
「どこから来たのですか。」
ボリビア‥‥」
 やっぱり、彼はインカの末裔か、おだやかで朴訥そのものだった。この人が好きになった。だから、その店には何度か行った。
 カタルーニアの料理を食べにレストランに行った。注文を取りに来たウェーターの若者と話をすると、ペルーから来たと言う。ペルーと言えば、元フジモリ大統領とその娘のケイコ・フジモリを思い出す。
「フジモリ‥‥」
と言うと、彼は、
「プレジデント‥‥」
と応えた。娘ケイコは国会議員だが、大統領選挙では敗北した。
 ボリビアもペルーも中南米のほとんどの国が、スペイン語公用語にしている。15世紀末以降の大航海時代に、スペインはインカ帝国を滅ぼし、アメリカ大陸のかなりの部分を植民地にした。
 この国の歴史には、たくさんの民族の出入りがある。BC10世紀から古代オリエントフェニキア人、今のシリアの地中海沿岸に住んでいた民族がイベリア半島に植民市をつくった。ギリシア人も入ってきた。BC6世紀からは、北アフリカカルタゴ人が入植してきた。彼らは元フェニキア人であった。BC3世紀からはローマ人が侵入してイベリア半島を支配した。紀元後は、8世紀にイスラムが支配し、11世紀までイスラム文化がこの地に栄えた。つづいてイスラム化した北アフリカの先住民が侵入した。その後、キリスト教の王国が国土回復戦争を展開し、統一スペインが生まれた。
 フランスのナポレオンによる支配もあった。キューバ独立運動をめぐって米西戦争が勃発してスペインが敗北した。スペイン内戦があり、ナチスドイツの空爆があった。
 侵略し、侵略され、支配し、支配された。罪を犯し、罰を受けた。そうしてこの国では、いろんな民族が生きている。街を歩くと、イスラムの人だと思われる人にもたくさん会った。寛容、受容、共生なしには生きることができず、社会をつくることはできない。
 この国の子どもたちは、その歴史から学んでいる。歴史を学ばなければ、国を保つことはできない。