オステオパシー

 ほぼ毎日、朝の一時間ほど整骨院へ行く。
 院内に本棚があり、そこに「いのちの輝き フルフォード博士が語る自然治癒力」(翔泳社)という本が三冊並んでいる。「貸出します」ということなので、借りて帰って読んでいる。「オステオパシー」という考え方が書いてある。
 病気の患者には筋骨格系の異常があり、循環系と神経系のアンバランスが症状を起こしているのではないかと考えたアメリカのアンドルー・テイラー・スティル博士が「オステオパシー」と名付けた。この考え方にもとづく治療は20世紀の初めに世に出されたが、近代西洋医学から無視され妨害されてきた。が、やがてその理論は認められるようになり、いくつかのオステオパシー大学も誕生し、医師を輩出している。
 オステオパシー医は手技を練磨する。その手技が全身を探索して異常を探り当てる。
 なるほど、なるほど、と思うところが多い。こんな文章があった。
 「オステオパシーは思想であると同時にアートである。アートとは、なんらかの活動をするための技量または力である。オステオパシーは科学でもある。自然および物質界に関する秩序だった知識である。」
 「宇宙のすべてのものはつながりあっていて、さまざまな部分は、人間の臓器や器官のように互いに依存し合っている。どの一つのささやかな変化も全体に影響をおよぼす。人間の生命活動は宇宙に支えられている。人間は単に地球の住人であるだけでなく、宇宙のすべての部分の住人である。」
 「患者が痛みで泣きながら治療室に入ってくることがある。私の治療は、『どうしたね? 痛い時は泣けばいい』というところから始まる。そして両手を頭にそっと当てる。たったそれだけのことで、痛みは驚くほど軽くなり、患者はすぐに落ち着いてくる。顧みられることは少ないが、手で触れることは、天からの素晴らしい授けものである。
 母親が赤ん坊の看病をしているところを見るがいい。熱がある額にそっと手を当て、胸に優しく抱き、安心となぐさめで包み込んでいる。やさしく触れるだけで、泣いている赤ん坊がおとなしくなるのは珍しいことではない。
 ギリシアの名医ヒポクラテスは患者を治療しているときに、自分の手から癒しの力が光のように輝いているのを気が付いていた。その輝きについて、彼はこう書いている。
 『それは患者の苦しみをやわらげているときに、よく現れた。病んでいるところに手を当てると、あたかもその手に不思議な力が宿り、それが痛みやさまざまな不純物を引きづり出し、はがしとっているかのようであった』
 わたしもまったく同じように感じることがある。ときどき、患者の苦痛を和らげているさなかに、自分の手がなにか名状しがたいものに満たされ、それが手を通じて痛みや不純物を取り除いていると感じることがあるのだ。
 現代医学に医師で、この手当て術を活用している人はほとんどいない。患者との密接かつ賦活的な接触を失っているということだ。」
 そしてこう書いているのだ。
 「患者は医師の愛ある態度によって、さまざまな恩恵をこうむる。いちばん大切なのは、医師が愛にもとづく信頼の態度で患者に接すると、患者もその医師に信頼で応えるようになるということだ。」
 
 近所に住むイワオさんは、二年前に心臓発作も起こした。今は五十肩のような痛みが上腕部にあり、両腕を動かすことも大変な状態だ。それでも田植えをしていた。三軒の医院に行って診てもらっているが、いっこうによくならないと肩を落とす姿は、見る影もない。
 「イワちゃん、ぼくの今行っているところへ行って診てもらったらどう?」
 オステオパシーの考えと治療法を話して勧めてみた。そしたらイワちゃんは飛んでいった。その結果を、昨日の夜、村のコーラスの会で聞いた。
 「よかった、よかった、一時間半、話を聞いてくれて、全身をマッサージして、身体の循環とブロックの状態を診てくれたよ。」
 満面の笑顔で応えた。明らかに希望が芽生えていた。身体の苦痛だけでなく、心の障害を解き放つことが医療の大きな務めなのだ。