下野している政治家に言いたい

 ずーっと、思い続けていることがある。
 地元選挙区から出馬して、衆議院議員になり、次の選挙で下野したS氏のその後のすべてが、さっぱり分からない。さっぱり分からないけれど、道路際のあちこちにポスターが立てられている。ということは、次の選挙で出馬しますよ、というアピールだろう。
 さっぱり分からない。何をしているのか。何を考えているのか。
 「政治家になるということは、どういうことか」
 下野している時に、日夜そのことを考えに考えている人こそ、政治家になる資格があると思うのだが。見えてこない。見えてこない人に一票を入れる気にはなれない。


 今日本の国は、社会は、どうなっているか、
 人々は何を想い、どのように暮らしているか、
 日本の政治は今どう動いているのか、
 下野している時こそ、それらをつぶさに観察し、研究し、考察することに没頭する、その最も基本的な仕事を怠けないで実践している。
 そういう人こそが政治家になれるという哲学をお持ちでないなら、出馬する資格はない。


 あなたは実際に、議員であった時に地元で政治報告会を開きましたか。
 下野してから、地を這うように村や町を歩き、人々の暮らし、人々の悩みや喜び、不安や希望を、拝聴する行脚をしていますか。
 子どもたちのなかに、高齢者の中に、
 あるいは労働者の中に、外国人の集まりの中に、
 一介の市民として入りこみ、その声を聞きましたか。
 環境問題や教育問題で、市民が身銭を切って運動を起こし、報われない中で苦闘していることを知っていますか、その運動体の集会に参加したことがありますか。


 どの政党の人に対しても同じことを求めます。
 首相であった人は、引退したら終わりではない。そこから社会の中での本当の活動が始まる。
 小泉さん、細川さんが反原発の実践をやっているように、自分の課題を追求することもできる。学術的な研究に没頭することもできる。


 過去の例で、もっとも典型的で、すごかったのは、田中正造でしょう。
 議員を辞して、谷中村に住み、足尾鉱毒に苦しめられ、命を奪われ、村を破壊される農民の立場に立った人、
 その人こそが、そのような原点こそが政治家の原点だと思います。

 
 下野してから実践を起こす、
 下野してから研究を深める、
 下野してから輝く。
 そういう生き方ができないだろうか。