地方政治の果てしない道

 今日は裁判の傍聴に、松本地裁へ行ってきた。9年も続く産廃施設裁判の公判だ。
 大規模な果樹栽培地域である三郷の小倉地区に、地元住民の意志を無視して産業廃棄物処理場を建設した業者との裁判闘争は解決の見通しが立たない。今日は、原告と支援者の30人近くが傍聴したが、今は農家がいちばん忙しいとき、何とかやりくりして人々は集まった。
 住民の意志が無視され、被害事態が9年も続いてきたのは、行政も議会もまともに解決に向けて動かなかったからでもある。
 今日の傍聴者のなかに、市会議員は二人参加していた。言わずと知れた純子さんと望三郎君、二人は徹底して、徒党を組まず市民の立場に立っている。
 市議会改革は安曇野市の重要な柱だが、なかなかそれが進まないのは議員の意識が改革されていないからだ。
 最近こんなことが起こっている。

 市議会広報や市広報誌に掲載され、回覧やポスターを使って、企画された一連の活動が市民に呼び掛けられた。
「議員が議会活動の状況を市民に報告・説明し、議会活動や市政全般にわたって、自由に意見交換をしましょう」
 意見交換会は議会基本条例にも決められている。市民と議会の距離を埋め、市民の意見を取り入れていくきっかけをつくる活動である。
 ところがその計画が骨抜きにされた。議長が「報告会であって意見交換会ではない。議員個々の見解を述べないこと」と中身を制限してしまったのだ。議員たちはそれになびいて、自由な意見交換会は換骨奪胎されてしまった。
 意見交換すると収拾がつかなくなり、議会の体面が保てなくなると議員たちは考えたらしい。挙句の果ては、「名指しで意見を求められた場合であっても、個々には応じないこと」という制約までつけられた。

 そして昨日、議会報告会の三郷地区が行なわれた。
 その中で、一市民からこんな質問がでた。
 「議会における会派制の説明があったが、信政会と政和会の違いは何ですか? 政策において何か違いがあるのでしょうか?」
 選挙の際、公明党共産党以外の立候補者は、無所属の候補者として出馬した。ところが、当選したら、知らぬ間に会派に属している。その会派はどのような政策をもつグループなのか、少しも明らかでないのに、開けてびっくり当選した議員の多くが「信政会」と「政和会」の会派に属していた。その数15人。
 議員たちは、自分の思想信条、政策をもち、信念をもって地方政治をつくっていこうと考えているはずだが、一人では何も出来ない、仲間をつくって力をもち、自分たちの都合のよい議会にしようと徒党を組んだのだろうか。
 望三郎議員が昨年当選して議会に入り、一番最初に「これはおかしい!」と思ったのはこのことだった。
 先の質問に議長が答えた。
 「だいたいの意向が一致している。会派の代表がいないので答えられない。」
 それではなんだかよく分からない、と質問者が発言すると、会場から失笑が起こった。その失笑の意味を議長や議員は分かっていたのだろうか。
 望三郎議員は、こう断じる。
 会派でくくって一人ひとりが自分の意見を述べることを制限し、自由な議論ができない議会なら、百害あって一利なし。
 「安曇野市議会は会派制を辞めるべきです。」

 いったい議員たちは、何を求めて議員になったのか、何をやろうとしているのか。市の行政をチェックし、ただしていくべき議会が、市長、行政の翼賛会になろうとしているようなのだ。たしか市長は、行政と議会が一体になることだと語っていたように思う。その補完物に当選議員たちはなりたいのだろうか。