孤独

 ハ―君がバイクの免許を無事取得した。再試験の当日、朝から試験場に行く予定をしていたら仕事が入って、午前中はそれに従事しなければならなくなり、午後一時半からの塩尻のセンターでの試験に間に合いそうになくなった。それを知った日本語教室の高橋さんのご主人が、ハ―君を車に乗せ、高速道路を飛ばしてくれたおかげで試験に間に合い、めでたく合格となった。バイクは中古をもう買ったそうだ。これで日本のあちこちへ旅しようと考えているらしい。よかったなあ、ハー君。

 昨夜、日本語教室へ市役所の人がやってきて、安曇野在留の外国人からいろいろ聞きたいということで、ベトナム人、中国人、台湾人の六人に日本語教室のスタッフを交え、話合いをもった。市役所の係は、男女共同参画、多文化共生を推進する課の人たちだった。
 日本に来て、困っていること、提案したいこと、分からないことなどを聞かせてほしい‥‥、出てきた意見は、日本社会の見えない壁とも言えるものだった。
 故国で日本人と結婚し、日本に来て三年になるけど、日本人の友だちができない。地域の人たちとも親しく付き合う関係がなかなかできない。「遊びにおいで」と言われたから行ったら、それは社交儀礼の言葉で、ほんとうに招いてくれたのではなかった。孤独を感じる。唯一日本語教室が、親しく打ち解け日本を知る場になっている。
 これは五十代のご婦人の意見だった。
 ハー君は積極的に日本語を学び日本人と交流する生き方をしているように見えるが、やはり寂しいと言う。
 実習している会社の日本の若者とは、会話することもなく友だちになろうとしない。仕事の中では、指示されたとおりに、ハイハイとやっていくだけで、社員同士で親密にいろんな話をすることがない。
 その人の性格的なものも関係するだろう。親密な関係を持てる日本人はたくさんいるから、もう少しハー君からも近づく必要があるだろう。だが、日本人の実態ははたしてどうなんだろう。
 日本人は他者との付き合い方が、内向きになっているのだろうか。あるいは外国人に対しては見えない壁を作るのだろうか。それとも日本人同士の場合でも、移住してきた人たちには付き合い方がよそよそしくなっているのだろうか。
 日本人の社交性が淡白になっている、それは生き方、生活スタイルそのものが内向きになっているからではないか。

 十年前、北京と青島(ちんたお)の中国政府の日本語研修所で教えたときに見た街の光景は鮮烈な印象をもたらすものだった。
 北京の夏の朝、午前4時過ぎごろから、街の人びとは公園や通りの広場に集まってくる。数百人、それはたいへんな人だ。集まってきた人たちは、グループを作って、それぞれやりたいことをやっている。体操、ダンス、ランニング、コマ回し、二胡の演奏と歌唱、各種の趣味の健康法やゲームも展開している。公園とは、まさに市民の暮らしの価値ある園だ。
 昼の休憩時は、通りの傍らや庭で輪になり、近所のおっちゃん、おばちゃんがマージャン、碁、将棋などをやっている。
 夕方になると、またまた家々から人が湧いてきて公園に集まり、太極拳剣舞、社交ダンス、各種の舞踊をやっている。犬の散歩をするグループもある。おしゃべりグループもある。真っ暗になっても、わずかな明かりの中で音楽が流れ、かたく抱き合って三十組ほどが社交ダンスをしている。

 家から外へ出る中国の民衆、家にこもっていく日本の民衆、この違いはなんだ。どこからこの違いは生まれたのか。そのときそう思った。エネルギーの発散がまったく異なる。

 昔は安曇野も、「お茶でも飲んで」と言って、地区の人、近所の人たちが縁側に座って、茶飲み話をした。家が開放されていた。祭りの場にみんなは集った。今はそれらが消えてしまった。
 そう言ったのは、ぼくの朝の散歩でときどき挨拶を交わす「かかしのおっちゃん」だった。

 文明は人間を外に向けもするし、内にこもるようにもする。
 世界に広がり、世界につながっているように見えはするが、人間の孤独、人間の孤立化、人間の寂寥感は深まっている。
 人間の肌身の付き合い、魂の交流が、乏しくなっていはしないか。