巨龍中国


 NHKの「巨龍中国」というドキュメントを見たが、なんとも深刻な環境汚染だ。特に大気汚染の激甚さに暗澹たる思いになった。
 北京を含む河北省の汚染は鉄鋼業によって甚大な被害を生んでおり、武漢は巨大な医療関係の廃棄物処理工場の焼却場から排出される汚染ガスによって人の命が奪われ、子どもの健康が損なわれている。ついに母親たちが決起し、役所に陳情に向かうが妨害され、無視され、とうとう政府に直訴、それも聞き届けてもらえず、裁判に訴えた。
 何ということだろう。武漢がたいへんな状態になっている。武漢に住んでいる人たちはどうしているだろう。
 2002年から2003年、武漢で暮らした時も大気汚染はあり、美しく澄んだ青空を一年中見ることはなかったが、これほどまでにひどくなるとは予想できなかった。
 あれから十五年経っている。
 2002年の暮れ、湖北省の民族大学の学生が日本語研究会を立ち上げるから発会式で日本について何か話をしてほしいと頼まれ、話す内容を考えたとき、日本人の暮らしをテーマにするか、日本の公害をテーマにするか、どちらにするか迷った。
 結局、日本人の正月の精神性について、二百人ほどの学生たちに話したのだが、後になって「しまった」と思った。かねてから思っていた、日本人が体験してきた公害のことを何故語らなかったのか。
 水俣病の海の汚染と被害漁民の闘争の体験、四日市の大気汚染と住民の闘いの体験、それこそあの時に訴えるべきだった。CCTVのテレビ局も来ていたのだから。
 自分の判断の甘さを痛感する。
 今、中国の被害住民は闘っている。病気に苦しむ子どものお母さんが話している。経済発展至上、企業中心がこういう国をつくってしまったと。かつての日本がたどった道。戦争前は富国強兵の道、戦後は高度経済成長・国土開発の道、どちらも悲劇の道だった。
 認識を深めた住民の運動がこれから中国を変えていくことになるか。それを希う。