「思い」と「感じ」だけで大統領は選べない



 「思いがけない」結果が出たと言う。「思っていた」ことと異なる。したがって「意外」、すなわち「意」が「外れる」。「意」と「思い」が「意思」。
 「思い」に人は左右され、動く。一昨日アメリカでは、「思い」が衝撃的な結果を生んだ。
 だが「衝撃的」というのも「思い」だろう。
 「移民排撃」「イスラム攻撃」「アメリカ第一主義」、彼は「思い」を叫んできた。
 人間は意識のあるときは、常に「思い」が湧いてくる。その「思い」を口にする。
 基地反対運動をしている人に向かって機動隊員が、「ボケ、土人、シナ人」と叫んだことについて政府の沖縄担当大臣が、「差別とは思わない」と終始抗弁している。すなわち「思い」なのだから、差別でも何でもないというわけ。
 こうも軽薄な「思い」。「思い」は頭をかけめぐる。
 忙しいなあ、なんとかならないかなあ、何を食べようかなあ、気温が下がってきたなあ、山がきれいだなあ、白馬岳はもう雪で真白だなあ、冬タイヤに変えなければならんなあ、医者へ行った方がいいかなあ、明日約束の時間に行かねばならないなあ、あと何年生きられるかなあ、フィシャーディースカウの「冬の旅」を聞こうかなあ、森田さんに電話したいが電話してもいいかなあ、元気かなあ、コウモリを入り込まないようにしなきゃあなあ、干してある黒豆を叩かねばならんなあ、寒いなあ、忙しいなあ、‥‥
 これら全部「思い」。

 「たぶんこの人は、やってくれるだろう」
 「この人は裏表のない率直な人のようだから、任せられるだろう」
 「この人なら、行き詰まりを打開してくれるだろう」
 「あの人よりはましだろう」
 おいおい、その「思い」は確かかい? どうしてそう「思う」の?
 それは、そう「感じる」からさ。「やってくれそうな感じ」がするじゃない。

 「雰囲気がいい感じだよ」
 おいおいおい、「感」とは何だ?
 「感じる」「感心する」「感動する」、「感じ」というのは「印象」だね。その人やその物に触れて心に浮かぶものだね。

 嫌な感じ、冷たい感じ、いい感じ、寂しい感じ、楽しい感じ、苦しい感じ、賢そうな感じ、ずるそうな感じ、勇ましい感じ、危険な感じ、安心できる感じ、不安な感じ、頼りがいある感じ、貧しい感じ、裕福な感じ、不吉な感じ、幸福な感じ、嘘っぽい感じ‥‥

 人間いつも何かを感じて生きている。
 「思い」や「感じ」を頼りに生きている。そしてうまくいくこともあれば、いかないこともある。
 だが、「思い」や「感じ」で、大統領を選んでどうする。
 重要なことは、「考える」こと、「知る」こと、「探究する」ことではないか。

 トランプさん、アメリカの白人の祖先はみんな移民ですよ。あなたも移民の子孫です。先祖の白人は、先住民のネイティブアメリカンにどんなことをしてきましたか。
 沖縄北方大臣殿、土人という言葉は日本の法律にもつい最近まで残っていましたね。北海道旧土人保護法(明治32年制定)は、平成9年(1997)廃止されました。なんとも遅すぎ、あきれたことです。
 アイヌ民族の歴史と琉球国の歴史をたどると、日本の国が見えてきます。そして中国に対する明治維新以後の歴史を調べれば日本人の意識が明らかになってきます。

 政治家は、歴史を探究することと現実社会を探究することなくして、本当の政治はできません。
 政治家を選ぶ庶民も同じです。歴史を知らずして政治家を選ぶことはできません。