尾崎豊の歌


 14年前、日本から郵送した二箱のダンボールはひどい壊れようだったが、中身のたくさんのCDとビデオテープは何とか使えた。その一つ、「北の国から」のドラマを中国・武漢大学の学生たちに見せたときのことを思い出す。思春期に成長したジュンが吹雪の夜、小屋のなかで好きな女の子と一緒になるシーンだったと記憶するが‥‥。そのシーンのBGMに尾崎豊の「I love you」が流れた。瞬間、女子学生たちがどよめき、空気がぴんと張り詰めた。学生たちが反応したのは尾崎豊の歌だった。彼らは尾崎豊を知っている。どういう経路をたどって湖北省のこの学生たちの生活に尾崎豊の歌がとどいたのか、よく分からない。だが歌は、中国の学生たちの心に響いているではないか。
 尾崎豊の歌がぼくのなかに残った。
 ぼくは今、通信制の高校の生徒と学びの場でひとときを共有している。生徒たちは自分の来れる時に学校に来て、自由にレポートに取り組み、帰ろうと思う時になれば帰っていく。生徒のほとんどは、ひっそり来てひっそり帰っていくが、とりわけ無口な子がいる。その生徒と向かい合ってレポート学習を支援していたとき、自分はロックンロールのストリートミュージシャンをしているのだと言った。ときどき大阪や東京へ出かけて、繁華街の通りでミュージシャンとなり、表現活動をやっているのだと。
 一昨日その生徒に尾崎豊のことを話した。教科書を教えるときよりも、こういう会話をするときがおもしろい。会話は生きる。生きている会話はおもしろい。学校での彼は普段無口で、無表情だが、話題が尾崎豊のことになった途端に彼は思いを語りだした。尾崎豊が好きで、彼のお父さんはもっと好きだと言う。
「『北の国から』を中国の学生に見せたとき、尾崎の歌が流れるシーンがあってね。そのとき、彼らがぱっと反応したんだよ。あの歌、『卒業』だったかな、『I love you』だったかな」
「それは『I love you』です」
 彼は即座に答えた。話が弾んだ。
「今の時代、どうにもならない社会状況のなかで、尾崎の歌が再び受け入れられてきているのかな。怒りと悲しみとの叫びが。」
「そうだと思います。社会の行き詰まりのなかで、尾崎の歌は生きはじめています。」
 ちょうどぼくが今読んでいる本のなかに、尾崎豊が話題になっていたから、そこを彼に示すと彼は本を読みだした。
 その文章は三人の意見のぶつかりだった。山折哲雄(宗教・思想史)、森岡正博現代思想)、山下悦子(日本思想)が尾崎を語る。会話を要約すると、
森岡「ロックは怒りの爆発で、体制への反抗です。尾崎の怒りには愛と安らぎがあります。尾崎が死ぬ前の曲は、ほとんど宗教音楽に近いところまで行っている。」
山折「怒りを愛に結び付けていますね。愛へのプロセスを悲哀で支えている。悲哀があって愛は安定する。神なき時代の最後の救いは愛です。神なき時代の芸術の最後に残された唯一の形式は愛ですね。」
山下「山折さんは尾崎は救いを望んでいるけれど救われないのではないかとおっしゃった。状況はそれだけ厳しいということを尾崎の歌に感じます。現代社会では安らぎは期待できない。」
山折「宿命・運命論とDNAの発見とは背中合わせになっている感じです。それだけ現代の悲しみは深い。決定されちゃっている。流れているのは深い悲しみです。」
森岡「無常感というものと科学文明が手にしてしまったテクノロジーのパワーとを、どう折り合いをつけるのか。それが解決しない限り、無常感・悲哀では切り札にならないです。」
山折「尾崎における怒りと救いの関係、怒りと愛の関係を考える場合、悲哀についての観念が欠如していることが問題だと思います。」
森岡「尾崎のこだわりの一つは欲望なんです。欲望から発して宗教性へと走っていくとき、その行き先は無常ということではない。」
山下「私は尾崎に『父』を感じました。日本社会には希薄だと言われてきた『父』です。掟としての『父』。」
森岡「私もそう思う。日本社会、日本文化のなかにも『父的なもの』を求めるものがある。それは構造的に抑圧してきた何か。」
山下「女性の変容一つとっても、日本社会のありとあらゆるもの、家族、学校、会社などにはびこる旧来の価値観、すべてが変化せざるを得ない時代が始まったのだと思う。国家、会社から自立した個人の確立がこの国には必要です。」
森岡個人主義に立ちながらも、異質なものとの会話を模索していくスタイルが必要です。日本は今後、人種のルツボ化していくとすれば、尾崎的なスタンスに立つことで、国民という看板を下ろせる。国民という縛り、近代国家という縛り、そういう縛りをようやく下ろせるような歌を、尾崎は歌い始めたのだと、私は思います。」


 本にするために記録される前の実際の会話はこんなものではないだろう。さらに要約すれば事実と隔たり、なお分かりにくくなる。だから内容的にも難しい。
 手渡した本でこの尾崎の部分を読んだ彼は、ぼくの席に本を返しに来て言った。
「ぼくの思っていることと通じます。」