村の合唱


 田舎の村の合唱クラブ「扇町コーラス」は31年の歴史を刻んでいる。昨日、町の芸能祭で合唱を発表した。総勢19人。
 この春、これまで11年間指揮してきた82歳の平林さんが引退し、代わってコーラスメンバーの大友さんが指揮をすることになった。まったく指揮の技術はなく経験もない。それでも引き受けた以上やらねばならず、やってみてその難しさから、とても自分にはやれそうにないと、我が家に弱音を吐きに来たことがある。
「まあ素人ばかりの集まりだし、みんなで創っていくのだから、皆で意見を出し合い研究しながらやっていきましょうよ。みんなで楽しく歌えばいいじゃないですか。」
 ぼくはそのとき、そう励ました。それから大友さんは、指揮をやっている人からいろいろ教わりながら、試行錯誤でやってきた。
 練習は月に二回、歌はみんなでこれがいいと思う曲を提案し合って、そのなかから、「遥かな友に」、「銀色の道」、「ふるさとは今も変わらず」、「堀金の四季」を選んだ。そうして練習を重ねて、この中の前の三曲を発表した。男性はバス。
 音楽を本格的に学んできた人は誰もいなくても、大昔から人びとは集まって合唱をしてきた。指揮者のいない合唱団もあるし、オーケストラもある。みんなで創り上げていくことに価値がある。権威的な人がいて、みんなは黙ってその人の言うとおりにするということがいいとは思えない。みんなで切磋琢磨していくことに価値がある。そう大友さんを励まし、大友さんもその気になって一生懸命指揮をし、なんとか芸能祭で発表出来た。大友さん、御苦労さま。
 「遥かな友に」は、ぼくにとっては懐かしい曲で、青年時代に山でよく歌った。「ふるさとは今も変わらず」は、東北大震災の復興ソングだということを途中で知った。月に二回の練習だけではあいまいなところが残り、インターネットのユーチューブで、「ふるさとは今も変わらず」を引っ張り出して、そこに出ている新沼謙治と少女たちの合唱を聞きながら楽譜を目で追い、何度もバスのパートを歌って練習した。かくして東北岩手の気仙沼新沼謙治の故郷で、大震災の後彼は故郷・被災地を訪ねて歌い続けてきたことも知った。
 ユーチューブに入っている映像の一つに、夜の被災地での合唱があった。仮設住宅のまえにブルーシートを敷き、そこに被災者たちが座っている。暗がりが辺りを包んでいる。新沼謙治と十人ほどの少女たちはその前に並んで歌っていた。歌を聞いている人びとの顔が、カメラに浮かび上がる。一人ひとりの表情を見ていると、その心の内が伝わってくるようでぼくは胸がむせて涙が出た。「ふるさとは今も変わらず」と、新沼謙治は作詞したが、現実は大きく変わってしまった。「故郷がかわってしまった」ということでは、わが故郷、河内野も大和路も、おおきく変わってしまった。その変わりようは、自然災害ではなく人間による意図的な変え方であり、破壊でもあった。そしてその最たるものに日本は遭遇した、福島原発事故。つくられた神話を信じた結果、いまだ故郷に帰れない人々がいる、半永久的な故郷の喪失が起こっている。
 「ふるさとは今も変わらず」と呼びかける新沼の心は、歌詞のなかに込められている。失われたものへの哀惜、心の中のふるさと。
   爽やかな朝もやの中を
   静かに流れる川
   透き通る風は体をすりぬけ
   薫る草の青さよ
   緑豊かなふるさと 花も鳥も歌うよ
   君もぼくも、あなたも、ここで生まれた
   ああ ふるさとは 今も変わらず

 合唱メンバーであり絵を描く有賀一人さんが、ぼくの顔写真を撮って、それをもとに一枚の絵をしあげられた。芸能祭の展示のコーナーに展示したよ、というから見に行った。うーん、なかなかいい絵だなあ。