「ドッカーンイベント」


 今日は「ドッカーンイベント」だった。
 朝、本を百数十冊、立て看板、タープ(屋根だけのテント)などを積んで出かけた。ぼくは「おじいさんの古本屋」という店を出す。
 このイベントは、8月に実施する「第3回福島の親子保養ステイ」プロジェクトを実現するために市民に資金への応援をお願いするものだが、それは同時に「福島」を風化させない、現実を見失わないようにするための活動でもある。会場は、三郷農村環境改善センターである。
 会場に着くと、10時に始まるイベントは着々と準備が進んでいた。建物のなかでは、バザー、フリーマーケット、ワークショップ、映画の上映、インド舞踊、ライブコンサートなどが行われる。建物の外ではテントを立てて、店を出す。
 数日前の準備会では、まだ誰が何をどうするのかはっきりしない点があった。だが、今朝はすべてが機能していた。自発的にスタッフを任じる人たちが、その任務を成り立たせようと自立的に動いている。
 ぼくの店をどこに出すか、その場にいた人たちはテントを新たに立てる位置を指定し、ぼくの持っていったタープは、二つのタープにはさまれたその位置に、たちまち数人の手によって立てられた。
 テントの下に長机が三つ運び込まれ、そこに持っていった本が並べられた。
 正さんが提供してくれたたくさんの児童書、大友さんが昨日、ご夫婦で家まで運んできてくれた本、大池さんが物置から選んで持ってきてくれた本、有賀さんの美術書、そしてぼくの蔵書の一部、それらは自発的スタッフの手で、整然と陳列された。
 値段をどうするか、足りない福島の子どもキャンプの費用に売上金がなるのだから、できるだけ収入を多くしたい。けれども児童書は子どもたちが買いやすいように値段をつけたいと思うし、一般的な書物も、できるだけ買いたくなるように、値段を安くしたい。結局、金額を低価格にすることにした。
 準備が終わると、客を待って、ぼくは読書をすることにした。幸いなことに日中は、雨は降らないようだ。
 隣のテントは、手づくりロケットストーブで火を燃やし、そこに鍋をかけて作ったタマネギスープを販売している。もう一方の隣は、ベーゴマ回しをしている。
 親子連れが次々やってきた。ぽつりぽつりと本が売れ出した。
 お客さんが来ると読んでいる本を置き、客がいなくなると本を読むという一日になった。古書店の主はこんな暮らしなんかな、と思う。曇り空だったから日差しが厳しくなく、過ごしよかった。
 冠松次郎の「渓」という文庫本一冊、10円でうれしそうに買っていった年輩の女性がいた。子どもは、自分のほしい本が見つかると、抱えるように買っていった。立ち読みしてもいいかと聞く子もいた。「どうぞ、どうぞ」。
 こういう店番は、常時その場にいなければならない。が、トイレに行くときは店を開けたままでかけた。
 誰も来ないとき本を読んでいると、居眠りがでた。
 午後2時半ごろ、ホールではフィナーレのコンサートが行われている。雨が降りかけていた。外の店はたたむことにした。売り上げは、3080円だった。「これだけだよ、少ないねえ」、とみんなに言うと、  「よくそれだけ買ってくれましたよ」「すごい金額ですよ、それが摘みあがってどかーんとなるんですよ」という声が返ってきた。
 店をたたんでコンサート会場で、「ゆくりりっく」のふまさんの熱唱を聞く。
 福島復興を歌っていた。ジャズ風に歌い替えた「ふるさと」の3番を、ふまさんが歌う。
「志をはたして いつの日にか帰らん 山は青きふるさと 水は清きふるさと」
 その歌声を聴いたとき、ぼくの心にじーんと来るものがあった。「志をはたす」という言葉が、新しい意味を持ったのだ。これまでは、そこは自分の立身出世の志だと解釈していた。だが今日その時、この歌を歌う被災地の人たちの志は違う。山河清き元の故郷、人が暮らし、人が育つ、共に生きるふるさと、原発のない、未来に希望をもてる故郷、非人間的な文明ではない人間の原郷としての故郷、そういう故郷を取り戻すことが福島の人たちの志なのだ。ふまさんの歌う「ふるさと」はそういう歌だった。
 こころざしを果たして、いつの日に、そのふるさとに帰れるだろうか。放射能の危険のないふるさとへ。
 では、私にとって、あなたにとって、取り戻すべきふるさととは、何ぞや。
 今それに日本人は直面ししている。。
 最後は、ジャグバンドの演奏とふまさんの熱唱、「安曇野賛歌」、会場も一つになった。