合唱練習「おいでよ 安曇野」


 「今日の合唱練習、わたし目の手術したで、大友さんの車で行きます」
と、巌さんから電話があり、昼過ぎ大友さんが車で迎えにきてくれた。巌さん夫婦と4人で出かけると、車の中は、白内障治療の話でもちきりになった。手術はたったの15分だよ、たくさんの人が待っていてね、よくはやっていたよ、手術をしたら、0.4の視力が1.2になった、いやあ、見える見える、世界が変わった、と巌さんが言う。
 穂高会館での練習が始まると、指導者の西山さんいつもと違っていた。緊張しているのと張り切っているのと、空気がちょっとぴりっとしている。というのは、先週から始めた新曲の練習をどこの報道機関か、カメラが入って取材する、そこへもってその新曲の作詞者が練習を見に来るからということであった。西山さんは先週思いつくまま練習の合間にみんなにその話をしていたが、ぼくの頭にはあまり入ってこなかった。ふーん、そうなのか、ふーん、それだけだった。
 練習が始まりカメラが入ると、西山さんは次第に高揚してきた。作詞者がやってくる、それをどう迎えるか、「早春譜」の合唱で迎えようと、そわそわ、いそいそ、その様子をぼくは相変わらずふーんと見ていた。ぼくはバスのパート、淡々と声をだし、いくつか歌ううちに、ぼくの身体が活性化しはじめ、心の温度が上がってきた。
 新曲というのは、第二回 安曇野に寄せる心の詩・作詞コンテスト「吉丸一昌賞」を受賞した作品で、題は「おいでよ 安曇野」。作詞者は米倉穂奈美、作曲は飯沼信義と、楽譜に印刷されている。歌詞は単純だったが、曲は変化に富んでいた。作曲は安曇野出身の音楽家だった。「吉丸一昌賞」の吉丸一昌は、「早春譜」の作詞者である。

  一、君たちはまだ 知らない
    たどり着く安曇野が どんなに どんなにすてきかってこと
    透きとおった青空 美しい山をこえて
    君たちは ここに やってくる やってくるんだ
  二、君たちはまだ 知らない
    春の季節が どんなに どんなに楽しいかってこと
    透きとおった水の音 美しい風を感じて
    君たちは ここに やってくる やってくるんだ

 このシンプルな歌詞に曲がついて、それを歌う人が歌に心を盛る。詞も曲も、一つの入れ物にすぎず、歌という入れ物に心が盛られて、歌が歌になり、魂がこもる。そんなことを考えていた。練習の間、カメラは回り、歌う人たちをとらえていた。女性30人、男性10人。
 迎えの「早春譜」を歌っていると、作詞者がやってきた。案内する人に導かれて部屋に入ってきた人をちらりと見た。あれっ、子どもじゃないか? 紹介され、合唱隊の前に用意された席に座ったのは、中学生であった。堀金中学校三年生、制服を着たかわいい女の子だった。ぼくは先週そのことをよく聴いていなかったために、眼の前に現れた作詞者に驚いた。
 西山さんはいよいよ高揚し、彼女を讃え、儀礼をつくす。西山さんが米倉さんに話しかけると、にこやかに笑顔で米倉さんは応える。はにかみながらも、一生懸命応える。
 「米倉さんに、聞いていただきましょう」
 彼女のつくった歌を合唱で聞いてもらおうと、まだ練習が始まったばかりの「おいでよ 安曇野」を歌う。西山さんが、どうですか、と米倉さんに聞いた。すると彼女は、
「すごい、すごいです。うれしいです」
と、緊張と感動にふるえるような声で答えた。
「おいでよ 安曇野」を繰り返し歌い、そしてまた「早春譜」を歌う。歌っているうちに、不思議な感動が胸に突き上げてきた。この感動はいったいなんだろう、と思いながら歌う。声が途切れそうになる。歌っているご婦人たちの目にも涙があった。
 いったい何に感動したのだろうか。よく分からない。そこに生まれていた純なるもの、目に見えない何か、それが響きあった。
 この歌の歌詞は、遠く北の国から安曇野にやってくる白鳥と、春を待つ「早春譜」の心をイメージしているのですねと訊く西山さんの言葉に米倉さんがうなずいたことで、ぼくは理解した。不思議な感動は、その心にも通じて湧き起こったものだった。
 練習が終わり帰りの車の中で、大友さんが言った。
 「わたしも、あのとき涙が出ましたよ」。