「ふるさと」と「桜」


今年も終わる。
今年、あの大震災に見舞われてから、「生きることと死ぬこと」、自分にとっての「心のふるさと」を考えることが多かった。
歌「ふるさと」は、震災復興コンサートや、集会で歌われ、ぼくにとっても心にしみて、涙する歌だった。
この十年間で心に残る歌は何かと問われれば、やはり「ふるさと」と、もうひとつ森山直太朗「桜」の二曲をあげる。どちらも、自分の行なってきた活動の中で出会った人々と一緒に歌い、魂を揺さぶられてきた歌であったからだ。
2004年から7年間、中国の北京、青島、そして日本の愛知と岐阜で、たくさんの中国の青年たちと暮らしをともにした。
北京と青島の中国労働部研修所で、一期が2ヵ月間、日本では1ヵ月間、何期も合宿した。ほとんどが中国の地方出身の農家の青年たちで、家族をもっと楽にしてやりたい、子どもの将来のために学資をつくりたい、工場や商店を持つ、あるいは通訳になる、日系企業で働くなどの夢を抱いていた。
希望をもち、貧しい暮らしから脱却することを願う青年たちだった。
日本の企業で技能研修生として実習することが名目だが、技術の習得とあわせて彼らには出稼ぎの目的があった。日本での3年間で、資金を蓄えたい。しかし、受け入れる日本企業の中には悪徳企業もあり、青年たちにとって苦難の労働を強いられた人たちもいる。
研修の出発点になる日本語研修の2ヵ月間、あるいは1ヵ月間は、これから始まる生活への夢を育む日々であったから、教師と生徒の間には互いに思いやる純粋な心が通い合った。
最後の閉講式が近づくころ、みんなで日本の歌を練習する。そして式で多く歌われたのが「ふるさと」だった。
日本語を勉強し始めてまだ日の浅い彼らは、充分歌詞を理解することができない。そこでまず歌詞を解説することになる。
「ふるさと」は文語の歌詞であったから、中国語の訳詞を準備した。
ぼくは解説とともに、彼らの故郷を聞いていった。
あなたの故郷はどんなところですか、家族はどんな暮らしをしていますか、あなたの幼かったとき、どんな遊びをしましたか。
青年たちは、自分の故郷を語る。
ひとりの女性は、「家の周りに竹やぶがあります。父は竹を伐って車に乗せそれを引いて売りにいきます。」と暮らしを語った。
ある男性は、故郷自慢をした。「私の故郷には、芙蓉の花が咲きます、たいへんきれいです、見に来てください。」
家で作っている作物がとてもおいしいと話した青年もいた。みんなみんな、故郷が自慢だった。
歌詞の二番は、父と母のことになる。
彼らの父母を思う心は深かった。
そして三番の歌詞。
「こころざしを果たして、いつの日にか帰らん」
ぼくは問う、「あなたの夢、あなたの志はなんですか。」


春の時期の研修生には、何度か森山直太朗「桜」を練習して歌った。
この歌詞はいっそう難しい。それでも彼らは、何度も何度もラジカセにセットしたCDを聴いておぼえた。
いつかまたこの地で会おう、再会を約する歌詞に彼らは共感する。
そうして公園の桜の花の開花が近づいたころ、あるいは川のほとりの桜並木の花が咲き始めたころ、
「桜」に心を込めて出発していった彼らだったが、願いはむなしく、再び会うことはなかった。


長野で開催された冬季オリンピックの閉会式の、選手観客全員で合唱したのは、「ふるさと」だった。