<集団的自衛権>戦場に立つものを想像できるか

 戦争を知らない政治家たちが、集団的自衛権の行使を容認して憲法解釈を自分たちの考え方に変えてしまおうとしている空想の戦争観、首相はそれをリアリズムだとするが、これは、どんな結果を生むか、その結果についての彼らの空想が現実に襲ってくる結果を想像できないとしたら恐ろしい。現実はそんなものではないという恐れを感じない空想政治家は、国民を守るどころでなく危険におとしいれる。
 ドイツの現実をメディアが報道している(朝日6月15日)。
 第二次世界大戦で敗れたドイツは、憲法基本法)で侵略戦争を禁じ、専守防衛に徹する道を歩んできた。ところが、湾岸戦争で、アメリカから「カネを出しただけ」などと批判され、憲法の解釈を変更して、ドイツ軍をNATOの域外にも派兵する方針に変えた。憲法裁判所は、原則として議会の事前承認がある場合に限り、ドイツ軍の域外派遣を合憲と認めた。2001年、アメリカの同時多発テロで、NATO集団的自衛権を発動したことによって、ドイツも後方支援や治安維持、復興支援に限定して、軍をアフガンに派遣した。ところが、戦場には前方も後方もなかった。すべてが戦場だった。ドイツ軍がアフガンから撤退するまでに兵士55人が死亡した。そのうちの35人は、自爆テロや銃撃などの戦闘による犠牲者だった。
 2009年、メルケル政権は議会の同意を得て、それまで自衛のための反撃の場合だけに武器を使用するという制限を広げ、発砲する前に複数の言語で警告を発することによって、任務遂行の目的での攻撃・発砲を認めた。その状況は復興支援どころでなく戦闘そのものだった。
 アフガン派遣のドイツ軍兵士の、心的外傷後ストレス障害PTSD)を患っている人は13年現在で1141人にのぼるという。自殺者も増えている。
 「自衛隊武力行使を目的として、湾岸戦争イラク戦争での戦闘行為に参加するようなことはない。わが国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるという限定的な場合に集団的自衛権を行使する」
 これが、安倍首相の主張だ。この主張が、戦場に自衛隊が派遣された場合に通用するか、そのときに生まれてくる現実は、ドイツのケースでも推察できるように、あり得ないということだ。集団的自衛権を行使したとたんに、限定の枠ははずれる。そのリアリズムが実感的に想像できるのは、むしろ戦場に立つ自衛隊防衛省だろう。
 イラク派遣の自衛隊員が、帰還後、自殺者が次々出たという現実、戦場を実感するものは、限定そのものが架空であることに気づいている。
 命令を発する首相には、何も分かっていない。