わが安曇野ビジョン<2> 学校林、公園林をつくろう


 都会の子どもは自然が乏しい、田舎の子どもは自然がいっぱい、という常識は当たっているか。
 安曇野市民憲章は、「美しい自然や豊かな歴史・文化に恵まれたまち」で、「わたしたちは、ここに生きる幸せと誇りをもって」と謳っている。ここで育つ子どもたちは、豊かな美しい自然のなかで育っていると。だがほんとうはどうだろうか。
 ぼくの地元の小学校は、建て換えられて10年余りだと思うが、建物は実にりっぱだ。だが、校庭にはまばらに樹が植えられているだけで、小鳥や虫が集まってくるような環境ではない。校舎とグランドで一日学習、運動をして子どもたちは家に帰ってくる。帰ってきても外遊びをしない。部活動が忙しい子どもはなおさら遊ぶ余裕もない。
 4年前、地元の保育園だったところを改築して、新しい児童館ができた。運動場にはドングリのなる木が生えていた。ぼくは児童館には木登りのできる木があるといいなあと思っていた。ところが、ママスタッフからこんなことを聞いた。近所から苦情がきたとかの理由で館長がドングリの木を切り倒してしまった、木を残したいのに異議申し立てもできなかった、その声は無念の思いがにじみでていた。この地域には木はいくらでもあるではないか、山もあるではないか、その常識が身近な自然を切り捨てる。
 農協のお店、ホームセンター、薬局、いろんな店で殺虫剤が売られている。蜂が巣を作った、アリの巣がある、それらの虫を退治できる薬がいろいろある。野菜や果物の害虫退治、雑草とりの農薬もたくさんある。田舎の暮らしはやむをえず虫を排除したり殺したりする。
 田舎の暮らし、そのなかで子どもたちは生きている。現代文明にほんろうされて生きている。だから、今の子どもたちは、昔の子どもたちがどっぷりつかっていた自然や野性から遠ざかってしまった。じっくり虫を観察したり、飼育したり、虫の生態を調べたりすることがなくなってしまった。
 それでもなお思う。昆虫少年は滅びてはいない、希望は生きていると。


 フランス文学者で「ファーブル昆虫記」を新訳した奥本大三郎さんは、昆虫館「虫の詩人の館」館長であり、アンリ・ファーブルの会理事長を勤めている。彼はこんなことを書いている。
 ■「虫とは何か」がわかってくると、「自分とは何か」がわかってきます。私たちは、フランスの博物学者アンリ・ファーブルをひとつの理想像として、現代の日本の子供たちを中心に、自然に対する健全な感覚を養い育てることを目的としています。
  子供たちは遅くとも十歳くらいまでのあいだに、仲間と自然の中で遊ぶことが望ましく、それによって健全な人間として必要な、様々な感覚、能力を身につけることができます。それは現在の都会的環境では育ちにくいものです。
 日本人は昔からふるさとの自然に護られ、小動物、主として虫を相手にその姿、形の多様さ、美しさ、不思議さを知り、その命の貴さに触れてきました。これははからずも、あの偉大なる博物学者、アンリ・ファーブルの生涯の仕事と一致しています。しかし、現在の日本で、どうしたら子供たちを、そのように自然と親しませることが出来るでしょうか。
 子供たちが昆虫や植物を自由に手に取り実感出来る自然環境、自由に利用できる資料館などを提供し、子供のみならずその家族にも、日本人がかつて所有していた自然についての感覚、美意識をとりもどしてもらうことを目標に活動しています。

 奥本大三郎さんはブログを書いていた。その一節。
 ■11月15日
 朝九時に昆虫館に来たら、安達さんと田中博さんがもう来て作業着に着替えていた。ヘルメットを被り、地下足袋を履いてすっかりサマになっている。梅田さんも着いた。植木屋さんはもう作業にかかる準備ができている。今日はファーブル館のクヌギの枝払いである。私としてはこのまま放っておきたいのだが、枝葉が落ちると近所の迷惑になる。
木の下に立って通行の人達に「すみません、枝払いをしています」と声をかけ、頭を下げる。
 落とした枝葉を軽トラック一杯分、すぐ近くの千駄木小学校まで運んで積み上げ、腐食土にする。去年の分はすでに土に還りふかふかになっている。
 ここで発生したハナムグリやカナブンがまた館のクヌギの樹液を吸いに来るという寸法で、この作業はもう五年続いている。千駄木小学校に大きな柿の木が二本。今年は当たり年らしく、赤い実が枝もたわわに生っており、熟柿にヒヨドリが来てつついている。だから甘柿だろうと少し失敬し、昆虫館に持って帰って剥いてみるとそのとおり、うまかった。四人で動坂食堂に行き、昼食。作業のあとのビールはやはりうまかった。

 「大人になった虫とり少年」(宮沢輝夫 朝日出版社)という本について、以前ぼくはこの「野の学舎」のブログに書いたことがある。
 ■「(この本には」少年時代、昆虫少年だった人たちがたくさん登場する。養老孟司奥本大三郎中村哲福岡伸一北杜夫茂木健一郎、数えて12人。
 日本には、『昆虫少年という文化』がある。日本語で詩を書くアーサー・ビナードも、アメリカの昆虫少年だった。ビナードがこう語っていた。
 『世界中で昆虫が一番すごい力をひめている。本当に偉いのはもっとも多様性に富んでいる昆虫だ。昆虫は、地球のことをいろいろ教えてくれる。昆虫少年や昆虫少女を多く育てることは、持続可能な農業や産業につながっていく可能性がある。より高い次元での昆虫教育が大事だ。チェルノブイリ原発事故で汚染されたところは、ミツバチがいっさい飛ばなくなった。棲息ができなくなった。その結果、果物もならなくなった。ミツバチの減少は、日本では農薬が原因だと思う。そこへ福島原発事故、どんな影響が出るかまだ分からない。昆虫が教えてくれる情報をキャッチしていかないと、人間の生活は成り立たなくなる。これから昆虫少年の存在意義が大きく変わってくる。昆虫を観察することでこの列島でどう生きていけるか、その知恵が見えてくる。』
 奥本大三郎さんは、日本に昔からある在来の広葉樹を学校や大学に植える運動を推し進めている。
 『街路樹では、プラタナスユーカリ、公園の木立でもヒマラヤスギなど外来種の植物ばかり。日本にもともといる昆虫が寄り付かないので虫害にあいにくく、管理するのが楽だから、役所は植木屋さんに丸投げしているのです。たとえば、小学校にエノキを植えれば都心でもゴマダラチョウは育つでしょうし、オオムラサキだって飛んでくる。そうした小さな森を各地に作るんです。なにもチョウが飛んでくるからだけで、こんなことを提言しているわけではありません。在来の樹木を育てないことは、文化の断絶につながるんです。日本画、俳句、和歌、日本の伝統的な芸術は、花鳥風月を基本としているんですから。』
 エノキは高さ10メートルから20メートル、直径は1メートルから3メートルになる。江戸時代は、街道の一里塚に植えた。果実は甘く、若葉は飯とともに炊いて食用にもした。樹皮は煎じて漢方薬になった。
 安曇野のいたるところに小さな森を取り戻したい。虫たちのふるさとは、昆虫少年のふるさとになる。昆虫少年のふるさとは、人間の栄える里になる。」

 さて、今日の朝日新聞に、岐阜市で開かれた「シンポジウム 国民参加の森林づくり」の様子が報道されていた。そこでは、ドイツの森づくりが語られている。
 日本の森林面積はドイツの倍以上ある。だが木材生産量は、ドイツのほうが日本の倍以上ある。日本の森は1950年ごろからスギ、ヒノキの単相林、建築材が主になって、在来の常緑樹や落葉広葉樹が切り倒された。その森が今や材木価格のバブル崩壊で手入れもなく放り出されてしまっている。一方、ドイツでは、様々な樹種を混ぜることで生物の多様性が生まれ、安定した森になっている。木の根元の植生が豊かになり、雨による表土の流出も防ぎ、土砂崩れ地すべりなどの災害も防止できる。
 パネラーの一人、脚本家の倉本聡さんは、「文明は不毛の地をどんどん広げている」と述べ、スウェーデンで子どもたちを森で遊ばせる活動をしている高見幸子さんは、「森を好きになった子どもたちは、自然を大事にする大人になってくれる」と話した。


 【安曇野ビジョン2】
 安曇野のすべての学校・保育園と地区の公園に小さな雑木林をつくろう。子どもたちの生活圏の林には、エノキ、クヌギ、ナラ、カシ、柿、桂、その他各種の雑木を植えよう。子どもたちは虫をとり、観察し、木登りもする。基地も作れる。昆虫少年の集まる林をつくろう。