式場は静まり返った。「卒業生入場」と、司会のアナウンスがあり、二階席に陣取っているブラスバンドが演奏を始めた。男生徒と女生徒のペアが数メートルの間隔を置きながら、並んで在校生の間を正面の演壇に向かって歩いて来る。拍手が湧く。
卒業生102名は、ステージのすぐ前の席に座った。再び水を打ったようになった。体育館の窓の外に、ヒマラヤ杉だろうか、翼を広げたように枝を伸ばした大木が見えた。今朝から吹き始めた強風で、枝が大きく揺れている。
式は分刻みの手順を踏んできびきびと進められていった。「全員起立」の号令で国歌斉唱、つづいて校歌の斉唱となった。ステージの左壁に、大きな額に入った歌詞があった。作詞は臼井吉見、作曲は芥川也寸志とある。
新たなる 時代の夜明け
おのずから 湧き出づるもの
八重潮の あふるるままに
古けくも いよよ若やぐ
民族の 力ゆたけし
われらの中学 堀金
げんげ田に 白壁映えて
槍 穂高 常念ヶ岳
国ばしら とわにそば立ち
烏川 流れさやけし
うるわしき 安曇国原
われらの中学 堀金
目路高く 遠くのぞみて
たしかなる 一歩を据えよ
ともどもに 睦み信じて
ゆたかなる 心を保て
誓いたる 三とせの学び
われらの中学 堀金
堀金 われらが母校
卒業証書授与が始まった。校長はステージの中央に位置し、卒業生は舞台の両袖から間隔をあけて上っていく。校長の前に立った生徒は、机一つを隔てて、一礼して校長から証書を受け取る。右から上がっていった男子が受け取って戻っていくと、左手から上ってきた女子が受け取り、担任から名前を呼ばれた生徒たちはそうして一人ひとり受け取るとステージから降りて自席に帰っていった。
日本の近代教育の歴史を通じて、「卒業証書授与式」という名のごとく、「授与」に重きを置いてきた式典の精神は、今も変わらず引き継がれてきている。44年前、大阪市矢田南中学の改革でぼくらが討議し実践したのは、卒業式の中心精神は、証書の「授与」ではなく、人権としての学習権にもとづいて、自らの学びを一人ひとりが振り返り、未来に向けてともに生きていこうと心を新たにする出発の式であるということだった。
ぼくらはかつてそういう討議をして、生徒ともに創っていく実践をしたが、その地その地に伝統があり、そこではそこでの改革がある。いま目の前に展開されている式では、一人ひとりに証書を授与することで、一人ひとりの学習権の保障をあらわしている。証書の授与は102名だった。
つづく学校長は式辞で、生徒たちが「夢現」と「無限」をあいことばに、自分たちの夢を実現するために、限界を定めることなく、どこまでも努力しようとした生徒会活動を誉め讃えた。そして、日々仰ぎ見た常念岳を心に刻み、社会に貢献し、世界に羽ばたく人になってほしいと、エールを送った。
その後に、教育委員会、安曇野市、PTAと挨拶が長々と続いた。
ぼくは生徒が主人公であるから生徒の送辞と答辞に注目していた。ところが、代表生徒の発表は声が小さく早口で、ぼくの耳にはよく聴き取れなかった。つづく在校生の「送る歌」と卒業生の「別れの歌」の合唱も、固まった儀礼にあふれる式典の厳粛感、緊張感に気おされたのか、彼らは歌ってはいるが表情と声に明るさがなく、元気さ、若さが封じられているように感じられた。それはここだけでなく、日本の多くの学校がこういうことではないかと思える。国家が授与する式典形式がえんえんと続き、生徒の持っているエネルギーが引き出される祭典にならないのだ。戦後の混沌のなかで出版された池田潔の「自由と規律」をぼくは思い出していた。そこには著者の留学したイギリスのパブリックスクールの卒業前夜の、かがり火を焚きながら歌い踊る祭典が書かれていた。
「式歌 ふるさと」と司会が言った。
昔、ほとんどの学校では「式歌 仰げば尊し」だった。
いつの日にか 帰らん
山は青き ふるさと
水は清き ふるさと
この歌詞で、ぼくの頭に広がるものがあった。それがぼくの胸を少し熱くした。この「式歌」も改革の一つだなと思う。
「来賓席」のなかでの、久しぶりの卒業式だった。