「仰げば尊し」


                 (写真は碌山美術館

市議会を傍聴した。本会議のこの日は、一般質問で議員が行政に質問をする。一人60分ほどの指定された時間内に、質問をし、それに対して行政側が答える。
寒さが身に染むなか、議会の開かれている堀金総合支所三階に行った。傍聴者は午前4人、午後7人いた。相変わらず少ない。議場は暖房が効いて、暑いぐらいだった。3月、6月、9月と議会が開かれるたびに会期中に数日傍聴してきたが、議場という空間に自分がなじんできたような感覚がある。質問者は、あらかじめ質問内容を行政側に通告してあるから、行政側は準備してある回答を答える。質問議員と行政側、両者の声がスピーカーに乗って議場に淡々と響き、ときどき笑い声が起こったりして、時間が過ぎていく。この立派な設備の整った議場がもうすぐ壊されるのだ。新本庁舎建設を決めた行政と議会は、今あるものの価値を活かし、市民にもっとも必要なことは何かを見極めて、それに税金を使うという方向性を持たなかった。市が生れてこれまで8年、議場や市庁舎に、特別不自由しなかったのに、90億近い予算が組まれて新たな「城」が建設される。なおざりにされたもの、失うものの価値を思う。取り返しのつかないことだと、議場を見ながら今も思う。
一人の議員が、教育行政について質問をした。教育委員会不要論をどう思うかなどのいくつかの質問の後に、彼は「仰げば尊し」を小中学校の卒業式でなぜ歌わなくなったのか、と問うた。師の恩、社会の恩、親の恩を尊しとする心を育むことが大切ではないか、という主旨だった。教育長が答弁に立ち、最近は、子ども主体の卒業式に変わってきていて、歌も今の子どもたちに合った歌を歌っているというような回答だった。「仰げば尊し」をなぜ歌わないのかという質問は、地元の高齢者からも聞いたことがある。ぼくの教師生活のなかでは、この歌をめぐって長い討論をしたことがあり、それは1970年代に始まった。たしかにこの歌は、高齢の人間にはノスタルジアを感じさせる。この歌を聴くと、しみじみ学校時代を思い出し、心が涙する。歌にくっついた思い出が、心にわきあがってくる。しかし、この歌を卒業式の式歌として歌ったから、師の恩、社会の恩、親の恩を尊しとする心を育めるというものではない。学級が崩壊し、学校が荒れ、いじめがあり、教師の恩など考えられないという現実もある。そういう学校現場を経験をしてきた教師や生徒にとっては、この歌を心から歌えるか。歌は、歌わされるものではない。無理に歌えといっても、声は出るものではない。校歌ですら、声を出さない生徒がいて、式場に声が響かないという状況の学校もある。教師にも「君が代」を無理に歌わせ、管理職が教師の唇の動きをチェックして歌っていないと見ると処分するところがある、そういう学校にどんな教育が生まれるか。生徒が歌わないから録音を流すというところもある。歌は歌いたいという心があって歌うものだ。愛着や誇りや喜び、感謝の心があって、歌える。心が落ち込み、寒々として、失望している生徒、怒りや憎しみを胸に抱いている生徒が歌いたい歌とは何だ。かつて尾崎豊が歌った歌「卒業」。その2番の歌詞はこうである。

   行儀よく まじめなんて出来やしなかった
   夜の校舎 窓ガラス壊してまわった
   さからいつづけ あがきつづけた
   早く自由になりたかった
   信じられぬ大人との争いのなかで
   許しあい いったい何が解りあえただろう
   うんざりしながら それでも過ごした
   ひとつだけ 解っていたこと
   この支配からの卒業

2002年にぼくが中国の武漢大学で教えたとき、よく日本のドラマのビデオを学生に見せた。あるとき、尾崎豊の歌が画面に流れた。すると女子学生たちは顔を見合わせ、ささやきあい、その表情が変わった。歌を知っていたのである。学生たちの何人かの目がうるむのをぼくは見た。

卒業式の前に進路が確定している生徒と、確定していない生徒とがいる。将来に対する不安が生徒の心を占めているとき、こういうときでも、卒業式で歌を胸はって歌えるというクラス、学校をめざしたい。そういう教師でありたい。しかし、形ばかり整えて、整然と儀式をとりおこない、その秩序正しさをよしとする学校の形骸化を恐れる。
仰げば尊し」のなかに「身を立て、名を挙げ」とある。明治期からの価値観である。

明治17年から歌われてきた「仰げば尊し」には原曲があった。アメリカで発見されたという原曲の歌詞を訳すと、
 1、わたしたちは別れる また会う日まで、神の御許に召されるまで
   この部屋から歩み出て ただ一人 わたしたちはさまよう
   ともに過ごした友よ わたしたちは過去の中に生きつづける
   でも光と愛の国で わたしたちは再び会うだろう
 2、さようなら 古き部屋よ 
   その壁のうちでの喜びの出会いはもうない
   朝の合唱も 夕べの賛美歌も くりかえすことはない
   けれども 幾年か後 未来に 
   わたしたちは愛と真実の世界を夢見る 
   わたしたちのいちばん好きなのは、あなた、あの若き日の教室。