詩の玉手箱 石垣りん「弔詞」

 

 

 石垣りんは、大正九年生まれ。小学生の時から詩を書いた。戦中戦後、職場の新聞や労働組合の機関紙にも詩を発表し、第一詩集は昭和34年出版された。

 「弔詞」という詩がある。石垣りんは、職場新聞に掲載されていた105名の、戦争で亡くなった人の名を見て、詩を作った。

 「弔詞」を読むと、深い悲しみが胸に湧く。

 

     弔詞

ここに書かれた一つの名前から

ひとりの人が立ち上がる。

ああ、あなたでしたね。

 

海老原寿美子さん、

長身で陽気な若い女性。

1945年3月10日の大空襲に、

母親と抱き合ってドブのなかで死んでいた。

 

あなたは今

どのような眠りを眠っているだろうか。

そして私はどのように、

さめているというのか。

死者の記憶が遠ざかる時、

同じ速度で、死は私たちに近づく。

戦争が終わって二十年、もうここに並んだ死者たちのことを

覚えている人も職場に少ない。

 

死者は静かに立ち上がる。

さみしい笑顔で、この紙面から立ち去ろうとしている。

忘却の方へ発とうとしている。

 

私は呼びかける。

西脇さん、

水町さん、

みんな、ここに戻ってください。

どのようにして戦争に巻き込まれ、

どのようにして

死なねばならなかったか。

語ってください。

 

戦争の記憶が遠ざかるとき、

戦争が又

私たちに近づく。

 

8月15日、

眠っているのは私たち。

苦しみにさめているのは、

あなたたち。

行かないでください、みなさん。

どうか、ここにいてください。