わが人生

 一町ほど向こうをふらふらした足取りで家の方に入っていくHさんの姿が見えた。ぼくはランを連れた早朝のウォーキングの帰り道、Hさんは畑を見回って家に戻るところだ。それにしてもフラフラしているな、変だな。
 H家に近づいて行くと、Hさんは道端の丸太に腰かけていた。どうもぼくの到着するのを待っていたかのようだ。
「賢治さん、おはようございます」
 Hさんの腰をおろしている横に、「南側の家に居ります」と書いた札がぶら下がっている。ぼくは賢治の羅須地人協会の建物にかけられていた「裏の畑に居ります」を思い出して、「賢治さん」とふざけて呼んだのだが、Hさんはそれには反応せず、
「あの日から夜眠れないでね。これから、ちょっと飲んでから寝ようかなと思うだ。朝まで眠れないで、頭の中でいろいろ思うんだね。昼と夜とひっくり返ってしもうたな。寝ていてもね、人間の脳は動いているだね。記憶もいろいろよみがえるんだね。」
 過去の記憶もぐるぐるめぐって出てくるし、いろんな欲望も現れてくるし、あの時のあれはどうの、この時のそれはどうの、思いが次から次へと出てくる。眠れない。
「煩悩がですねえ。」
とぼくが言う。
「寝ていても脳が活動するの、寝たくても寝られない、どうしたもんかねえ」
 昼夜が逆転したのは「あの日」から、妹さんが亡くなった日から後、不眠不休の状態が続いた。それが原因で、リズムが狂い、意識が錯綜し始めたのだ。
「睡眠が浅い時は、脳が活動していますねえ。過去が出てくる」
 長い人生も一瞬のことのように思えるが、その中で経験してきたこと、それに伴う悔恨や慙愧、自責の念が記憶の中によみがえる。Hさんは、ためらいもなくしゃべりつづけた。
「お釈迦さんも、悩んで悩んで、悩み苦しんで悟り、仏教を開かれました」
 ぼくがそう言うとHさんの顔がほころび、そこで話が終わった。
 Hさんと別れて、ランと足を速め、百メートルほど行ったところで、後から叫ぶ声が聞こえた。
「おーい、吉田さーん」
 振り返ると、Yさんだ。去年94歳で亡くなったおじいちゃん、戦時中特殊潜航艇、すなわち人間魚雷をつくる工場で働いていた人の息子。
「トマトあるかねえ」
「ああ、少しつくっています」
「冬瓜やモロッコいんげんはどうかねえ」
「いや、つくっていません」
「じゃ、もっていきましょ」
 引き返して、そこで少し会話し、「ありがとさん」といただいた袋を提げて帰ってきた。

 図書館で星野道夫の「森に還る日」をぱらぱらと読んだ。20年ほど前、本屋で買って大切にしてきた星野の本が、いつのまにかぼくの身の回りから消えてなくなっていた。どこへ行ったんだろう。


 「森の主人公とは
 天空に向かって伸びる生者たちでなく
 養木となって次の世代を支える死者たちのような気さえしてくる。
 生と死の境がぼんやりとして
 森全体がひとつの意志をもって旅をしているのだ。」
             星野道夫「森に還る日」