ブログ非公開処置のまちがい――「星めぐりの歌」の著作権は消滅していた



 

 「どうも腑に落ちない」、この気持ちがあるときは、そのままにするな、腑に落ちなかったら、腑に落ちるまで調べてみよ、それを今回痛感した。納得できないのに、それをそのままやり過ごし、過去のことにしてしまうことはよくある。しかし、時間や手間もかかるし気苦労もあるけれど、納得できるまでやっておくことだ。
 このブログにおける著作権問題と公開停止の処置、どうも変だ、何かがおかしいと思っていた。
 ぼくがブログに載せた二つの歌詞、宮澤賢治の「星めぐりの歌」と童謡「おうま」、この歌詞掲載が歌詞の無断転載になるので削除するようにとJASRAC日本音楽著作権協会)より「はてなブログサービス」に要請があり、「はてな」から削除してほしいというメールが来たのは1月17日。ぼくはすぐさまその部分を削除した。そのときは、こういう場合でも歌詞の無断転載になるのかと、もやもやとした気分になったがまずは指示に従っておこうと掲載部分を探し出して削除した。
 それでこの問題は終わったものだと思っていたら、1月末に、ぼくに何の連絡もなしにブログが一方的に非公開にされてしまった。ぼくはそれを知らずに記事を書いてはいつものとおり画面にアップしていた。ところが、カウンターの数字が2とか3とかで止まってしまい、訪れる人が全くいない。数日間、これはカウンターの故障だと思っていた。けれども以前カウンターが故障した時は数字は出なかったが今回は数字は出ている。ひょっとしたら、ブログ自体に何かが起こっているのではないか、と思っていたら、ブログが開かないという連絡をしてくださった方がいた。高橋さんという方はそのことでぼくの安否も心配してメールを送ってくださったのだった。そのメールのおかげで、ぼくのブログが閉鎖の状態になっていることを知った。それでも公開が意図的に停止されているとは想像もできなかった。
 ぼくは「はてなブログサービス」会社に問い合わせた。すると、当該歌詞の削除が未だなされていないから非公開処置をとったというメールを受けた。何? すでに二つの歌詞は削除済みなのに? ぼくは憤慨してメールを送った。けれど、まてよと思い直し、もう一度これまでの文章をすべて点検した。その結果、宮澤賢治の「星めぐりの歌」の歌詞が別の日にも記事に使っていたことが判明した。かくして宮澤賢治の「星めぐりの歌」の歌詞はぼくのブログからすべて削除し、これで著作権の侵害はなくなったと、「はてな」会社にそのことを報告してブログはまたもとの状態に戻された。その間に、何人もの人から、ブログが見れない、開かないという声が寄せられ、頭を抱える半面心配してくださることへの感謝の気持ちがわいた。
 でも、どうも腑に落ちない。宮澤賢治の「星めぐりの歌」は2月3日のブログに書いた文脈のなか、もうひとつの「おうま」は、2013年10月5日の童謡・わらべうたの言葉のリズムを調べる仮想の授業の記事内に掲載していた。全く営利を目的とせず、自分の思索のなかでのつぶやき、それでも歌詞の無断転載、著作権侵害になるのだろうか。いやいや、やはり読者がいるかぎり不特定多数への配信であり侵害になるのだと、自分を納得させはしたが、もっと調べてみようという気が起こった。
 宮澤賢治記念館に聞いてみよう、調べてみると今休館中だという。そこで岩手大学宮澤賢治センターに問い合せた。2月12日、岩手大学地域連携推進課の及川さんがぼくのブログの該当部分を読んで返事を下さった。
著作権の保護期間は著作者の死後50年とされておりますので、宮澤賢治氏の『星めぐりのうた』に関する著作権は消滅していると考えるのが一般的な解釈だと思いますが、もしかすると何らかの形で新しい権利が生じているのかもしれません。詳しくはJASRACにお問合せいただかないとわかりませんが、可能性としてコメントいたします。」
 やっぱりそういうことなんだ。賢治が亡くなって今年は82年、50年ははるかに過ぎている。このコメントに勇気をもらったぼくは、それまで何度もインターネットで意見を聞こうとしてうまくコンタクトが取れなかったJASRACに直接電話をかけ、意見を聞くことにした。幸い電話はつながった。
 要するにこういうことであった。
 「星めぐりの歌」については著作権は切れている、「おうま」は著作権が生きているが、「星めぐりの歌」について削除要請したことは、JASRACの間違いであった、担当者が 誤って「はてなサービス」に削除要請をした、おわびしたい。
 「削除された『星めぐりの歌』の歌詞は、復活させてください」、担当者のその声を聞きながら、ぼくはもう厳しく追及することはやめた。しかし、なぜそういう間違いが起きたのか、しっかりと原因を追究してほしいと思う。このような間違いが引き起こす精神的な被害についても考えを深めてほしい。ぼくは一時、これを機会にもうブログはやめようと思っていた。
 今回の問題では、力が、JASRAC → 「ブログサービス」 → 個人(私)という一方通行で働き、その過程では相手とのコミュニケーションや検証はまったくない。「処分」のごとき非公開という仕打ちをとってもよいかと、当事者に問いかけることもしなかった。JASRACのまちがい指示を問い直すこともなく、そのままブログ会社は「非公開」を一方的に行ったのだ。
 「どうも腑に落ちない」という気持ちは何かの知らせ。抑えつけてはならないと思う。