保山耕一さんのこころの映像

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 昨日、テレビの「こころの時代」という一時間番組で、映像作家・保山耕一さんのドキュメンタリーを見た。奈良の春日大社周辺を映像に撮る保山さんの仕事の記録、初めは軽く見ていたが、次第に引き込まれ、映像の美しさの奥に宿る魂のようなものを感じ、それとともに保山さんの命とこころだからこそとらえる美なんだと感じると、ぼくの心は感動で震えた。

 余命五年というガン宣告を受けた保山さんは、奈良公園に毎日通い続ける。朝、暗いうちから家を出て、早朝の飛火野、春日大社御蓋山の原始林周辺を歩き、一瞬の輝きをカメラに収める。鹿の吐く白い息、春日大社の藤の花の開花、霜柱をたてる小川、保山さんは春日大社宮司さんとも親しくなった。宮司さんは、自分の娘もガンで亡くなったことを話した。保山さんは、その娘さんへ捧げる映像を撮ろうと考える。天と地の架け橋を成す虹の映像だった。保山さんは、飛火野のベンチに座って、いつ現れるともしれない虹を待つ。毎日毎日虹を待つ。ある日、御蓋山の上に、かすかなかすかな虹が出た。見る人が見ないと分からない虹。一瞬の虹。それをカメラに収める。さらに百年に一回とも思われる、ありえない雲海を撮った。それは京都までも広がる雲海で、その雲のうえに御嵩山の頂上が突き出ていた。

 ほとんどありえないような風景が立ち現われ、映像に撮ることができたことは、奇跡とも思われる。それは、保山さんの精神と保山さんの体のつながりから生み出されてきた奇跡的な映像だった。

 余命五年の月日は過ぎた。保山さんは映像を撮り続けている。

 

 久しく訪れていない、あの世界。なつかしかった。

 奈良に住んでいた時、何度も訪れたあの世界。

 朝、薄明のころ、二月堂から三月堂、若草山にかけて散策した。観光客の一人もいないとき、天平の時代がその時間帯にはよみがえっていた。お堂に入ると、僧たちが仏像を清めていた。

 春日大社から南に広がる馬酔木の森、その「ささやきの小道」を歩いて森に入り、道なき道を行くと、ぽかりと草の広場に出た。そこはぼくの秘密の別天地だった。しばしばわが子や、学校の生徒たちを連れて行って、遊んだ。

 馬酔木の森を抜けて、住宅地のはずれに出、そこから山に入ると、旧柳生街道の石畳が峠まで続いていた。石畳には往古の車の轍(わだち)の跡が石に掘り込まれていた。谷の岩場には磨崖仏が彫られていた。

 夜明け前の奈良公園、夕やみ迫る奈良公園は、時が逆転する。訪れるのはその時だ。ぼくの最も好きな古都がそこによみがえる。