忘れもの 


 脚本化の倉本聡は今年80歳になったそうだ。
 こんな講演記事が載っていた。
 娘夫婦が富士山に登ってきたという。5合目まで車で行って、そこから登った。それを聞いて思った。我々は、文明が進歩して5合目が当たり前だと思うようになってしまっている。それを進歩だと思っている。しかしその進歩は、どんどん視野を狭くし、選択肢を狭くする。開高健が死ぬ前に非常に素敵なエッセイを書いていた。パリの空港で、一人の旅人が疲れ果ててトランクに腰をおろしていた。空港の係員が心配して、「どうされたんですか」と聞くと、「今、遠くから到着したところなんですが、体は到着したんですが心が到着しないんで、今心の到着をここで待っているとこなんです」
 倉本はこんな趣旨のことを書いてから、
 「僕らは今あらゆることに追われに追われて、どんどん前へ進み出ちゃってるけど、本当に心がそれに付いていってるんだろうかっていうことを、常に危なく思います。みなさんもたまにはトランクに腰をおろして、心の到着をお待ちになったらいかがでしょうか。」
 この記事を読んでいて、以前このような話を読んだことがあるなあと思い、何十年か前のことを思い出した。
 確かミヒャエル・エンデの文章だったと記憶する。ヒマラヤだったか、アンデスだったか、はっきり覚えていない。ポーターたちを連れて、登っていった。すると途中でポーターたちが荷を下ろし、座り込んでしまった。促しても頑として動かない。頼んでも労賃をはずむと言っても、言うことを聞かない。どうしてかとたずねると、「あまりに早く来すぎてしまい、魂が追いつかない」と答えた。魂が自分たちの体から分離してしまった。魂を置き忘れた体で動いてはならない。そんな話だったと思う。ちょっと記憶があいまいではあるが。

 明治の時代、日本人は海外へ出かけた。船旅だった。森鴎外の年表を見ると、23歳のときの留学では、8月に出発して、10月にベルリンに着いている。
 「フランスへ行きたしと思へども
  フランスはあまりに遠し
  せめては新しき背廣きて
  きままなる旅にいでてみん」
と詠った詩人がいた。
 今、日本からヨーロッパに飛べば、10時間余り、その間は機内のとらわれ人でいるしかない。飛行機の下にひろがる山々も、森も平野も、砂漠も海も、村も都会も、そしてそこに生きる人びとや動物など一切見向きもしないで、体で感じることもしないで、ただ目的地に着くことだけ。
 早く行くことが文明の進歩になって、速さが基準の頭脳になり、とうとう10時間という時間をもまた長く感じるようになってしまった。


 三好達治の詩、二編。旅は歩くことだった。その道中は、体全体、五感が活動するときだった。


         水声

   通りすがりに 私は見た
   人影もない谷そこの 流れのふちに
   砥石(といし)が一つ
   使ったばかりに 濡れているのを


         旅人

   旅人よ旅人よ 路をいそげと
   海辺をくれば 浪の音
   野末をゆけば 蝉の声
   山路となれば 啄木(けら)の歌
   

啄木(けら)はキツツキのこと。