芽を出すものたち


 種をまいてから、毎日のように水やりしては、芽はまだかとのぞいていたが、それらしきものは見えなかった。アスパラガスは、そんなに発芽が難しいのかな、ひょっとしたら種がよくなかったのか、などと原因をいろいろ考えていた。種をまいてから三週間以上がたっている。こんなに日にちがたっているのに、なぜ?と思いつつ、腰をかがめ老眼を地面にくっつくぐらいに近づけて、小さな草の芽があちこちに出ている上から、視線をはわせていくと、ちらっと目にとまったものがある。5ミリほどの、かすかな淡い緑の、つまようじの先より細い、ピンと立っているもの、出ている、これぞ新芽、アスパラにまちがいない。立って畑の畝を見降ろしていたのでは決して見えることのなかった、アスパラの新芽。5ミリほどの体の、それでもしゃきっと天に向かうために、この世に出てきた、小さな小さな命。淡い緑の棒を、数えてみると、20本以上はある。これが育てば、20数株のアスパラガスになる。
 土を押し分けて、出てくる小さな命の、大きな力。ニンジンも発芽の確認をしたときは、か細い数ミリの、緑の絹糸が風に揺れていた。すじ播きしたところから出た、たくさんのニンジンの芽は、初めは畝の上で、それとは分からなかったが、今は畝の上に並ぶ二条の緑の帯になり、土色は緑色に変わる兆し、ニンジンの存在感が見えてきた。
 初めてまいたゴボウ、絶対に発芽させるぞ、と10センチ間隔に数粒ずつ種をまき、乾燥を防いで上から寒冷紗のような黒いポリ布で覆った。これは、発芽が早かった。数日したら、等間隔に列をなして、元気な芽が出ていた。

 今サニーレタスと普通のレタスが数株育っていて、下葉をもいで食卓にのせている。大きな下葉を7、8枚取ってきて、ざくざく切り、大きな鉢に盛って食べている。このぜいたくを夏場も続けようと、新たにリーフレタスの種をポットにまいた。これも発芽が早かった。小さな円い双葉が、遠慮がちの顔をして土から出てきた。
 双葉の時期が、ゆっくりしているなあ、と思ったのは、キュウリ、ササゲ、レタス、ゴーヤ、アサガオの場合で、彼らは双葉のままで何日間か世界を眺めている。本葉が出てくるまで、どうしてそんなに時間がかかるのかなと思うが、それは、こちらの「早く大きくなあれ」という気持ちのせいだろうし、さらに植物にとっては、まだ生長するだけの栄養分を吸収できていません、大きくなるのは、本葉が出てきて、根がしっかりはってきて、肥料分を吸収できるようになってからですよ、それまで準備中です、ということだろう。そういう眼で観たら、トウモロコシの伸び方も同じだ。ツンツンととがった葉が出てきて、ゆっくりとしている。準備期間が過ぎて、蓄える力がつけば、一挙に伸び始める。
 木の伸び方には感嘆する。白樺も夏椿も桂も、一年に一メートル以上は伸びる。バラもシュートをぐいぐい伸ばす。
 農の最も大きな喜びは収穫にあるが、作物の芽が出た時の喜びは、なんだかしみじみと命の神秘を感じて、植物がいとおしい。相手が動物の場合も、小さな命のけなげさに生きる力を感じる。
 幼い者たち、赤ちゃん、乳幼児のいる世界は、命がみなぎる世界なのだ。