ムクドリのUFO

 電線に、小鳥が並んでとまっている。腰の部分が白い。ムクドリだ。
 ムクドリは群れをつくる。
 秋の初めごろ、西山の森をバックに、小鳥の一群が一定の間隔を行きつ戻りつ旋回しているのが眼に入った。ぼくから1キロほど離れたところだ。群れは山麓の集落の上を、右に行くと旋回して左に飛び、2、300メートル行ってまた右に戻ってくる。その繰り返しをしている。数百羽はいるように見えた。距離が離れているから声は聞こえない。
 ぼくは歩きながらその群れを観察していた。群れは、集落の上を何十回往復したことだろう。この旋回飛行の途中で、円くなった群れが突然見えなくなる。群れが消える。濃緑の森を背景にして飛ぶ群れは、太陽の光で白っぽい円盤形に見えるが、鳥たちが方向を変える時、体の向きが日光を跳ね返さなくなる。そのとき群れが消えて見えなくなるのだ。
 何年か前に見た光景と同じだった。そのときも西山の緑のなかに、白っぽい円形が動いていた。円形は少し形を変えながら移動していて、突然姿が見えなくなる。視界をさえぎるものが何もないのに消える。あれ、どこへ行った? と見つめていると、すぐにまた姿を現し、移動していく。一瞬UFOではないかと思った。小鳥の群れが丸く集団をつくって空を旋回していて、太陽光の反射が少なくなる体の向きになったとき、たぶん小鳥の飛ぶ方向が観察者の方に向くか、あるいはその反対になったとき、群れは森の色に溶け込むのだ。
 世に言う空飛ぶ円盤、UFOの目撃も、この現象を見てのことではないかと、UFO伝説のひとかけらの原因が分かったように思った。
 そういう経験もあって、群れが消えるのを予想するとそのとおりに消える。北に飛んで反転するとき円盤は消え、南に飛んで反転するとき群れは森に溶け込む。
 20分ぐらい、小鳥の群れは同じ範囲をぐるぐる飛び続けた。少し高度が上がったり下がったりしたが、それほど高くは上がらなかった。こうして飛ぶうちに仲間がどんどん増えていく。
 小鳥はたぶんムクドリだろう。
 記録では、冬のねぐらに、数千から数万の鳥が集まることもあるという。樹上で木の実をあさり、田畑に下りて餌を探し、道をのこのこ歩いていたりする。翼を広げると三角形になり、広げた両翼の後ろの縁が一直線になる。ムクドリは、群れ全体で行動するとき、餌が平等に行き渡るように工夫している。一羽一羽が勝手気ままに自分だけ他を出し抜いて食べるということをしない。群れで木の実を食べるときも、上から順に丹念に食べながら下の方に下りてくるが、みんなが食べられるように行動するのだという。刈田に下りると横一列になって、前進して食べていくという報告もある。
 円盤は集落の木々に近づき、そして消えた。


 むかし、青年教師だったぼくは登山部をつくって、部員の生徒たちと山に登っていた。
 大台ケ原から大杉峡谷に、淀川中学校登山部OBで高校生になっていた5人と下ったことがあった。黒部峡谷と並んで、冠松次郎が絶賛した大杉谷、渓の途中の川原で幕営をした。深い滝つぼが眼前にあった。
 夕食が済んだ後、UFOを呼ぼうと、辰巳克好君が言った。
 テレパシーで呼べるんだ、精神を集中して、UFOがやってくると念ずるんだと言った。
 みんなは川原の砂の上に寝転んで、空を見る。両岸の峰は高く、黒々と渓に迫る。
 ぼくも彼の言うとおり、満天の星空を眺め、夜中の12時近くまで無言で念じ、UFOの現れるのを待っていた。
 銀河は流れ、白鳥座が浮かんでいた。
 星々のなかに、とうとうUFOは現れなかった。
 それから年は過ぎた。辰巳は香港で日本料理店を開いた。還暦過ぎた今も、日本料理店「慕情」をやっているだろうか。
 彼が21歳の時に会って以来、その後一度も会っていない。

 安曇野を流れる犀川に、今年の白鳥がやって来た。