家と樹が調和する、うるわしさ









家の周りに屋根を超す樹木があると、景色に潤いが生まれる。建物が裸にならず、木々に守られているこのような景観が、道行く人の心を和ませる。




古くからこの地に住んでいる人の家。養蚕農家だった。その家は今も使われている。高木が調和する。家の二階で蚕を飼っていた。
今では養蚕をする人はいない。その技術も当時の経験者たちが亡くなっていくと失われていく。







新しい住宅地も、周辺に樹木地帯があると、景色は落ち着いたものとなる。道を散策する楽しさは、このような景色を楽しむところにある。













今は物置に使われている土壁のこの建物も、背後に屋敷林があって、風景に溶け込む。今も使われているところが、いい。ぼくの好きな建物の一つ。







樹木に包まれる家は、風から守られる。だが太陽がさえぎられる率も高い。冬場は家の南面は落葉樹にして、夏涼しく、冬暖かく、木々の工夫がいる。















この地方には、屋根に舟のへさきの形が付いた大きな屋敷がある。伝統的なこの地の建築様式だ。絵を描いているカズトさんはこの家の主。この様式の家は、新たに建てられることはない。日本の家屋群の建築様式は、すっかり伝統スタイルを放棄してしまっている。











多くの人が、生活に不便な古民家を壊して、新しい建築に建て替えた。そのとき、屋敷林を持つ家は、樹を残そうとした。しかし、高木の剪定はプロに頼まなければならない。費用がかかりやっかいでもある。これが頭痛のタネになっている。
安曇野の景観美は、屋敷林や社寺林、公園林、一部の雑木林などで生まれている。だから市民の生活空間内の大樹は、社会的に守られるように、仕組みを行政と市民で考えださねばならないのだが、「私的なものであっても、それがそこにあるが故に価値を持つ社会的資本であり、したがってその保護をしなければならない」という認識がほとんど進んでいない。
家の周囲に樹がある。それだけで、新しいスタイルの建物もしっとりと落ち着いてくる。ぼくは新興住宅地にも屋根の高さを越える樹を1本でもいいから植えることを薦める。一本のシンボルツリーを庭に植えると、家に風格が生まれる。家に調和して美が生まれる。Nさんの家のシンボルツリーは一本の白樺。夏椿(シャラ)の家もある。バラ、ケヤキ、サクラ、それぞれ好きな樹をシンボルツリーにするといい。


我が家のシンボルツリーは何だろう。我が家の白樺は枯れてしまった。その後、桂の幼樹を買ってきた。4年前に植えて、今は5メートルを超える高さに伸びている。ハート形の葉で、幹の感じも美しい。これがシンボルツリーになりそうだ。
一家に一本、シンボルツリーを植えれば、新興住宅街の風景はがらりと変わるだろう。
破壊され、失われていく景観美は、樹を増やすことでとりもどすことができる。
そうして野を歩き、村の道を歩く人が出てくる。歩く人が増えれば、その人たちは社会的価値としての美を発見する。