日本国憲法


 今日の朝日歌壇に、こんな短歌が選ばれていた。高野公彦選の第一首の歌である。

    九、十一、十三、十四、二十一と二十五条は暗誦できます
              (西条市)村上敏之

 最初読んで、これが短歌? ちょっと考えた。憲法の条文なのかと気づいたが、はてと頭をひねった。九条は言わずと知れた戦争放棄の条文だが、後は何だったかなと頭をひねるていたらく。評に眼を移すと、
「それぞれ『戦争放棄』『基本的人権の享有』『個人の尊重』『法の下の平等』『集会・表現の自由』『生存権』を定めた、憲法の重要部分。強い護憲精神から生まれた奇作である。」
と書かれていた。ああ、そうだったなあ、お恥ずかしいかぎり。この作者、それを全部暗誦できると詠う。脱帽、ぼくは失格だ。
 学校で社会科を勉強してきた生徒は、それぐらい当たり前でなければならないが、日本の学校の社会科は根本のところが空洞化しているから、生徒にとっては憲法が遠くにある。実際は遠くどころか、憲法があるから日常生活の今があるのだが、意識の世界では憲法はよそごとのようになっている。
 1945年8月15日以前の日本では、若者は召集令状一枚で兵隊に行かねばならなかった。それ以後は、そういうことは皆無になった。憲法九条があるからである。そして憲法十一条や九十六条があるから、基本的人権が保障され、個人の尊厳が守られる。国民の生存にぴったりと寄り添っている憲法があるから、自由権が保障される。だが、今の若い人たちにとっては当たり前になっているから、なかなか憲法に守られていることが自覚できない。
 そういう無自覚状態にあると、逆に、基本的人権の侵害にあっても、それを糾そうとする意識が薄弱になる。派遣社員の問題、人間をモノ扱いする企業、原発事故で家や家族を失った人など、深刻な問題は山ほどある。

 今日の朝日歌壇に、南相馬の池田実さんの歌が二首採られていた。

     はらはらと浪江の土手に舞う桜しばし忘れる胸の線量計

     除染終え飯場へ帰る車窓にはガレキ踏みしめ睨(にら)む猪(しし)見ゆ


      ☆     ☆     ☆

第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
第十一条  国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

第九十六条  この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
第九十七条  この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。